僕が性同一性障害の診断を受けるとき提出した自分史が出てきたよ。

僕が性同一性障害の診断を受けるとき提出した自分史が出てきたよ。

今日は山口県の宇部市で人権学習会です。準備で色々過去の書類やパワポを見ていたら、診断書をもらうために提出した自分史が出てきました。自分で言うのもアレですが、僕の人生が分かりやすくまとまっていたので載せます。診断書をもらいたいFTM君は参考にしてね。「よく考えてるね」って褒められるおまけつきだぜ。超淡々としている。

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目次

自分史

私は 1992 年に鹿児島市で生まれ育ちました。初めて性別に関して自分がどうも人と違っているらしいと感じたのは 3 歳の時でした。自分の事を「僕」と言った事で祖母を困惑させたためでした。この頃に自分は人とは違っていて、それは周りに言うべきではない事だと思い、隠していました。両親や周りに見捨てられたくない、と思うようになりました。

幼稚園では引っ込み思案な性格で何をするのも遅かったので周りになじめませんでした。工作と絵を描く事が好きで、一人で遊んでいました。セーラムーンが流行っていたようですが知りませんでしたし、おままごともした事がありません。制服は嫌でしたが文句は言いませんでした。その後も制服のスカートに文句を言う事はなく、受け入れていました。

小学校に上がり、運動と工作や絵が得意だった事から周りに一目置かれるようになり、自信がついて明るい性格になりました。様々な行事で中心的役割を果たす事が多くなりました。男の子とも女の子ともよく遊びました。秘密基地作り、プラモデル、ゲーム、ドッジボール、川遊びが好きでした。高学年になって身体的な変化に戸惑いを覚えました。

中学生になると身体的変化がはっきりしてきました。胸が大きくならないようにとうつ伏せで寝ました。また、女の子を好きになってしまい悩みましたが、思春期の一時的な同性へのあこがれは珍しい事ではないと本で読み、自分を納得させていました。

高校になりまた別の女の子を好きになりました。また、この頃携帯を持ち始めて自分の性別への違和感に関してネットで検索して調べるようになりました。そして性同一性障害ではないか、と思いましたが、「自分は障害ではない」「生活保護で生活し、鬱うつしながら暮らしていたり、過度に男らしさにこだわったりするこの人達とは自分は違う」と、受け入れませんでした。同族嫌悪が激しかったのだと思います。しかし、とうとう耐えきれなくなり母親にカミングアウトしました。高校 3 年生の夏前でした。しかし自分でも自分が何者かはっきり分かっていなかったので、うまく説明できず失敗しました。また、高校卒業後の春に友人にカミングアウトしましたが、これにも失敗して避けられてしまいました。

大学生になって北九州で一人暮らしを始めました。カミングアウト失敗の苦い記憶から大学生になってからは徹底的に女性を目指しました。化粧をしてスカートをはき髪も伸ばして染めました。しかし一人での自由な暮らしの中で、誤摩化しながら生活するのがバカらしくなりました。自分の将来を真剣に考えて、このままではいけないと思いました。自分にも他人にも嘘をついて誤摩化すことはやめようと決め、自分らしい服装や髪型にしました。そして周囲にも「自分は性同一性障害の FTM だ」と公言し始めました。

幸い周囲には受け入れてもらうことができ、現在大学内では殆ど男性として扱われている状態です。将来は院に進み公衆衛生学を学んで、国際協力業界で仕事がしたいと思っています。学生のうちに治療を済ませ、男性として働き、社会貢献したいです。

 

以上!

河嶋先生と人前でお話するのももう最後な気がするので、有終の美を飾ってきま~す。