どうもです。昨日は山口県宇部市での人権学習会に行ってきました。河嶋先生のお付きの人として。笑
黄色の電車でGO
何を伝えに行く?
僕の話しっぷりはまぁ、ちょっとね、あんまり準備してなかったことがバレバレな感じでしたけれども。企業の方々へのお話だったのでカタイ空気感でいつもより緊張しましたが、良い反響があったようで良かったです。
女やーめたっ!
僕ともう1人MTFの子が当事者として参加したわけですが、僕らはもうトランス後の生活に慣れ過ぎてて当事者意識が低いんですよね。河嶋先生の方がかなり熱心でした。意識低い系当事者と意識高い系非当事者という状態。いや、でもなんだかんだその子が綺麗にまとめてくれました。
やっぱり性同一性障害って字面でいくと重苦しい感じがするみたいです。聴きに来てくださった方々にも昨日で伝わったとは思いますが、そんなに特別だったり難しかったりする訳ではないんですよね。2人ともそんなに鬱々してた訳ではないし。まぁ勿論嫌になることももう生きてるのも辛いわ!みたいなこともなかったというと嘘になりますが、世間のイメージ程暗くはない。その辺が伝わったなら行った甲斐があったと思います。
企業の方々にしてみるとトイレや更衣室の設置とかに目がいくようなのですが、就職にあたって、ハード面はあまり大きな問題ではないんですよね。勿論整ってくれていると本当にありがたいし、あるに越したことはないのですが、当事者にしてみればトイレ更衣室問題なんて何度も潜り抜けてきた問題な訳で、どうにかなるんですよ。たぶん。
それよりはまず、僕らを受け入れてくれる体制をもつ意思があるかどうか?これだけが分かればいいのです。あとは個人の性格とかの問題だから。
動かなくちゃ変わらない
実は僕は今青年海外協力隊の訓練でも通称名が使えないか、打診しています。正直な話、そんなことをしなくても僕はそこで出会った人たちと仲良くなって自分で説明して受け入れてもらえる気はしてます。でもせっかくならできることはやってみたい。青年海外協力隊、性同一性障害で検索して僕のブログを見つけてくれた人がいるからです。僕の後に続く人がいるかもしれない。無理だと思ってた人が動き出そうと思うきっかけになれるかもしれない。傲慢で思いあがってて厚かましいこと言ってるってわかってるけど。
僕は今まで自分のことしか考えていませんでした。大学で通称名の使用を求めたとき、全く食い下がらずにすぐに引き下がった。前例がないなら無理か、そっかそっか、と。だけどMTFの子はちゃんと動いた。だからうちの大学は変わった。通称名が使えるようになった。僕は、本名で卒業証書をもらった。自分にもちゃんと動かなかったツケが返ってきたわけです。
で、この記事に出てくる会社員(23)は僕のこと。僕は後に続く人のこと、考えてなかった。僕が平気だからほかの当事者も平気とは限らないし、黙ってたら状況は何も変わらない。身に染みたのです。
「何かを変えたいと望むなら、仲間を作り、力をつけること。」こう教えてくれたバングラデシュ人のゲイの活動家を思い出します。彼はあのイスラム社会の中で仲間を作ってゲイとしてセクシャルマイノリティの権利を主張しています。「私たちは力強い結束を持っている。国内で違法な存在ではあるけれど、強い力を持っているから政府の力なんかには負けない。」だから僕は動きたい。僭越だ。生意気だ。でも、動けるのなら動くべきだと思うから。
河嶋先生とその子と色んなところで話してきましたが、もう最後なのかなぁと思うとちょっと寂しいですね。それぞれが色々な意味でひとり立ちの時期です。
帰国したら絶対中学か高校で話をしたいと思ってます。小学校でもいい。学校関係者の方で僕を授業で使ってやるよって方がいらっしゃいましたら是非ご連絡ください。2年以上あとになるかもしれないけど、必ずお伺いします。