どうもです。今日小塚崇彦選手が引退をすることが分かりましたね。小塚選手と僕はとても深い関係にあります。何を隠そう、小塚選手と僕は誕生日が同じです。2月27日です。それが言いたかった。
今回は、高校教師をしている大学のゼミの友達に会うにあたって、僕がなぜ国際協力に関心を持ったのかについて書こうと思います。ちょっと整理させて(身内ネタ)。
べろーん。バングラデシュにて
弟と募金箱
僕は騙されやすい&単純なところが(今も)あるようなのですが、それをよく言うならば素直な子供でした。
皆さんの記憶にもあるかもしれませんが、小学生のころ募金なんかがありましたよね。そのときに「世界には皆さんと同じ年くらいの恵まれない子どもがたくさんいて~うんぬんかんぬん」みたいな話を先生がするわけです。
単純な小学生の僕は「そっか、自分たちは恵まれているんだなぁ。僕のお小遣いの100円で何人かの子供が栄養を摂れるなら、僕がカードダス(ガチャガチャのカード版みたいなやつ)を一回我慢すればいいもんなぁ。」なんて思うのです。
というわけで、学校で定期的に行われる募金に備えて部屋に募金用貯金箱を設置しました。お菓子の空き箱に「ぼ金」と書いて穴をあけただけのものです。部屋にやってきた弟が箱を見て言いました。
「これ、なにー?」
そして僕は先生の受け売りを答えるわけです。「世界にはR太(弟の名前です)と同じ年くらいの恵まれない子どもがたくさんいて~うんぬんかんぬん…だからこのお金をあげたらそういう子供たちをちょっとたすけられるかもしれないじゃん?」と。
僕が話終えると弟はダッシュで部屋を出て行き、ダッシュで戻ってきました。手に1000円札を握って。そして、ちょっと涙目になりながら、それを僕の前に広げて言いました。「じゃあR太のお金もあげたい!」彼もまた、素直なのであります。
なんだかガツンと衝撃を受けました。「こんな子供が財布からすぐに出せるお金で何人もの人が救えるのに、なぜ困っている人はいなくならないんだろう?」いやお前も子供じゃねぇかって感じですが、その時僕は単純にそう思いました。
例えばこのユニセフのサイトを参考にすると、(当時の1000円でできることとは違うかもしれませんが)弟の1000円で、子供たちの免疫力を高め、感染症にかかりにくくするビタミンA(1年間分)を500人の子供に投与できることになります。
僕は小4か5年、弟が小2か3年だったと思います。小2とすると1000円は5か月分のお小遣いですので(永崎家のルール的には)、子供には大金ではありますが、出そうと思えば子供でも出せる額なのです。
「自分たちは学校に行けて毎日ご飯も食べられて、そうそう病気にもならないし、暖かい布団で眠れる。どうしてだ?なんでこんなに不平等なんだ?」
僕の頭は?だらけです。そしてちょうど同じような時期に9.11がありましたが、その時も僕は意味が分かりませんでした。なんでこんなことが起こるんだろう?図書館でイスラム教やテロについて調べまくりました。この世界では、何が起こっているんだろう?
でも僕は海外に行って人を助ける仕事がしたいとはまだ思っていませんでした。
僕は社会の役立たず?
素直な僕は少しずつひねくれねじれゆがみながら大人になっていきました。僕は16歳でした。女子高生でした。
トランスジェンダーである僕は、今現在ほぼ男性として生活をしていますが、当時の僕は「男になりたい」「女の子が好きだ」なんて、口が裂けても言えないことでした。墓場まで持っていく悩みだと、本気で思っていました。そんな大袈裟な!
高校2年生の同じクラスにマンガが好きな子がいました。僕はゲームが好きだったので、よく話していました。ある日その子が言いました。
「私は同人誌とか好きだけど、ボーイズラブだけは絶対ありえない。」と。
僕は「え、なんで?」と聞きました。その子は答えました。
「だって男同士なんて、生物学的におかしいし、生産性がないじゃん」と。
僕は昔のことを思い出しました。壊れたおもちゃが元々不良品であったことを受けて父が言ったセリフです。「世の中にはたくさんのモノがあって、その中にはハズレもある」と。
そのセリフの矛先が僕に置き換えられて迫ってきました。「世の中にはたくさんのヒトがいて、その中にはハズレもいる」と。
そうか、私はハズレなのだ。私は、生物学的におかしくて、生産性がない、社会の役に立たない欠陥品だ。その子は僕のことを言ったわけではないし、僕を傷つける気もなかったに違いありません。つまり僕には彼女を責める気は当時も今も全くない。そして責める相手がいなければ、自分を責めることになります。
僕は自分のことが好きでも嫌いでもなかった(まじでどうでもよかった)のですが、それ以来自分のことが大嫌いになりました。そして世の役に立てない存在であることを恥じ、失望しました。
僕の名前の「公」の字は「人に愛されるように、そして人や社会の役に立つように」という意味がこもっているらしいです。それを知った日から、僕は社会の役に立つ大人になりたいと思っていました。でも、僕はどうやら社会の役立たずのようでした。
とにかく、にげたい。
そんなこともあり、僕は役立たずかもしれないけど、それなら何かほかのことで役に立ちたいと思いました。それで補完することはできずとも、何もしないわけにはいかない。罪滅ぼしの意味合いが強かったように思います。
そして日本国内ではなく、海外に目がいったのは他にも理由がありました。
僕は逃げたかったのです。家族から、友達から。どこか遠く国の、ド田舎の村で暮らしていれば、「結婚は?」「孫は?」「彼氏できた?」とか、そんなことよりも、「元気にしてる?」と聞いてくれるかもしれない。遠くへ逃げたい。結婚、子供、日本社会に渦巻く女性としての責任というプレッシャーから、僕は逃げたかった。当時はこんなにも通信技術が発達するなんて思ってませんでしたからね。
そしてもう一つ。当時の僕はこう考えていました。「自分は女だ男だ、そんなしょうもない悩みを恵まれた国で抱えている。ばかばかしい。学校に行けて毎日ご飯も食べられて、そうそう病気にもならないし、暖かい布団で眠れるんだろう?明日をも知れぬ人たちがごまんといる世の中で、何をぜいたくな悩みを抱えているんだ。」
結局のところ、僕を最も苦しめたのは僕でした。自分を大事にできない僕自身が、最も攻撃的な言葉を僕にぶつけるのでした。
なんやかんやのそんなこんなで僕は「国際協力の業界で働きたい」と思うようになりました。超後ろ向きな理由ばっかりなんですよね。今は違いますよ!長くなってきたので、残りは後半にしましょう。
後半へ続く!