幸福になるための「努力論」―幸田露伴が教える3つの福

どもです。今日はおすすめの本の紹介です。

今回お勧めする本はこちら!

幸田露伴の『努力論』です。

僕は、かなりわかりやすく現代語訳してある<『超訳 努力論』をハードカバーの本で持っています。

Kindle版もあります。

原版は青空文庫の電子書籍があるので0円で手に入ります。Kindle本としてダウンロードすることもできます。

青空文庫 幸田露伴 幸福論

 

超訳 努力論

超訳 努力論

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幸田 露伴
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努力論というタイトル

今回特にお話をしたいのは努力論の中に出てくる「幸福三説」という3つの幸福についてです。でもこの本のタイトルは「幸福論」ではなく、「努力論」となっています。

要は、幸福になるためにはどのような心持ち、努力が必要であるのかについて書かれています。だから努力論というタイトルだというわけですね。

 

3つの幸福 惜福、分福、植福

幸田露伴は「幸福三説」というものを提唱しています。それが「惜福」「分福」「植福」の3つです。

1.惜福

惜福とは、福を使い尽くしてしまわないことです。

たとえ手元に自由に使っていい100万円があっても、全部使ってしまうのではなく、25万円は残しておく、というのが惜福です。幸福になる人のほとんどはこの惜福の工夫ができていると露伴は言います。

“惜福の工夫を積んでゐる人が、不思議にまた福に遇ふものであり、惜福の工夫に缺けて居る人は不思議に福に遇はぬものであることは、面白い世間の實際の現象である”

不思議なことに、惜福の人ほど降伏に出会いやすいというのです。福を惜しむ人は、人に愛され信頼されることも関わってくるでしょう。

惜福は「ケチになれ」ということでもありません。使える自分の福を敢えてすべて使い果たさずに、一部分別に置いておくことなのです。

では、なぜ福をとっておくべきなのでしょうか。

 

2.分福

二つ目の分福が惜福よりももっと大事だと露伴は言います。分福とは字の通り、福を分ける、つまり自分の持っている福を人に分け与えることです。

大きなスイカを手に入れたときに、それをすべて食べてしまわずに残しておくのが惜福。スイカを人にも分け与えて、他者と一緒に食べることで自分も幸せになるので、他者と自分、二重の幸せを得るのが分福です。残しておかなければ人に分け与えることはできないので、惜福と分福は繋がっています。

昔の武将はわずかな酒を部下の兵と分かち合うために、その酒を川に流して兵たちとともに味わったという話が出て来ます。そのようなわずかなお酒では酔うことはできませんが、武将の温かい心遣いに酔わざるを得ないのでした。

人は慈悲深い人を頼ります。人の上に立つ人こそこの分福は必要です。分福の工夫ができない人には人はついてこないので、人の上に立つことができないと露伴は言います。大成するには時として他人の力も必要なので、普段から福を独り占めするようなことがあってはならないのです。

3.植福

福が有るの「有福」、上記の「惜福」や「分福」はすべて良いことですが、これらのどれよりもずば抜けて優っているのは「植福」です。植福とは、”我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や、清趣や、智識を寄與する事をいふ”とあります。自分の持つ力や情、知恵を使って世の中に幸福をもたらすことを「植福」というのです。

以前の記事でギルバート先生の「こうしゅうえいせい」の話をしました。

僕が国際協力に興味を持ったワケ:中編

あれこそまさに植福です。医者である先生が病気の人を救ったのも植福ですし、病気にならない環境を作ればいいんだ!と閃いた先生が「こうしゅうえいせい」を作って病気にならない環境を作ったのも植福でしょう。

つまり僕たちが普段手にする物やサービスといった「財」の類は、誰かの植福の上に成り立ちます。家族や友達からは「分福」を与えられているでしょう。たった一人の力で1から作り上げ手に入れたたものなどないに等しいはずです。文明とはすべて、先人たちの植福の結果です。

 

僕なりの解釈と幸福論

誰もが幸せになりたいと願います。でも「幸せだ」と感じている人は少ない。だから「どうやったら幸せになれるのだろう」と考えます。いつの時代のどこの人も。

アランもヒルティもラッセルも「幸福論」を書いて、福山雅治も、椎名林檎も「幸福論」を歌います。幸田露伴は「努力論」を書きました。

 

幸福って何でしょう?誰もが一度は考えたことがあると思います。正解はありません。人それぞれです。

僕は一般的な幸福な状態を一言でいうと、「明日を楽しみにしながら床に就けること」だと思っています。そこには最低限の物質的な豊かさと精神的な豊かさの両方が必要でしょう。

そして僕個人にとっての幸福は「人が幸福(明日を楽しみにしながら床に就ける)な状態になれるよう手伝えること」だと思っています。

 

大きなスイカを手に入れたとき(有福)、

少し残しておいて(惜福)、

誰かと分かち合い(分福)、

その種を蒔いて大きなスイカを育てる(植福)。

おいしいスイカができるように良い土を作ることも植福ですし、害虫を駆除したり雑草を抜いたりするのも植福です。植福には手間がかかります。

スイカを手に入れたときは、その時近くにいる人に分け与える分福しかできませんが、種を蒔いて世話をすれば、もっとたくさんの、スイカを手にした時より未来の人にも福が行き渡ります。これが植福が最も優れているといわれる所以です。

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このサイクルを産むためにはまず「有福」の状態にならなければなりません。有福でないと惜福も分福も植福もできないからです。

だから幸福になるためにはまず自分が幸福にならないといけない、ということですね。つまり、自分だけの幸福を考えていてはいけないし、他人だけの幸福を考えて自分のことをないがしろにしてもいけない、ということになります。仏教の「自他不二」の教えの通りです。

 

努力は大事

なんだかんだ努力は大事です。クレイジーケンバンドの剣ちゃんも言っています。

努力なんて言葉はかっこわるいけど

努力なしでそれはなしに得ぬもんだよ

―♪あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。

努力が大事というか、そうですね、努力を努力とも思わなくなるくらいがむしゃらにやって初めてそれは努力と呼べるんじゃないかなぁと。で、そんくらいやってると楽しくなるか、キツイだけでどうでもよくなるかのどっちかなんですよね。全体を考えたらそこには「楽しい」も「キツイ」もあるんでしょうけど、そんときに「楽しい」って思えるものこそ、その人に合っていることなんじゃないかな。僕はそう思います。そんくらいになったら別に望む結果が得られなくても成長はしているでしょうしね。

努力論でも「努力して居る、若くは努力せんとして居る、といふことを忘れて居て、そして我が爲せることがおのづからなる努力であつて欲しい。さう有つたらそれは努力の眞諦であり、醍醐味である。」とあります。

 

がむしゃらに頑張る、泥臭く頑張るより、スマートにこなせるほうがカッコいい時代だとは思いますが、幸田露伴の「努力論」は現代社会を生き抜くことにも通じる教えが詰まっていると思います。

原文だけだと難しいところもありますが、超訳の方では省かれてる部分もあるので、原文と現代語訳を併せて読む方法をお勧めします。

 

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