どもです。今日は『ぼくは君たちを憎まないことにした』を読みました。泣きそうになりながら読んでの感想をここに書いておこうと思います。
本を知ったきっかけ
「国民の8割が支持する死刑制度と被害者感情について」という記事で今日この本のことを知って、その日のうちにこの本を買って読みました。
僕は死刑制度に対してあまりよく思ってはいないものの、「廃止すべきだ!」と大声を上げるほどでもないという非常に中途半端な立ち位置でした。どちらかというと死刑制度反対派かな?くらいの。
その理由ですが、「どんな命も人が奪っていいはずがない」という気持ちよりはむしろ、罪を背負いながら生きることより死ぬ方が楽になれそうなイメージがあるので、それよりは生き地獄を味わって死にたくなるような苦しみを感じてほしいからです。
まぁそんな感じでうすぼんやりと考えていた僕は、上記の記事を書いたライターさんの意見(彼は死刑制度廃止論者です)に共感しました。
私の頭はちょっとネジが外れているので、犯人が死刑になるくらいでは気が済まない。死刑判決が出て、死刑が執行されたら、逆に「なに勝手に法律ごときが俺の大問題に決着つけてんだよ!」と怒りを増幅させるだろう。
ならば、自ら犯人に復讐すれば気が済むのか。自分が殺人犯となって牢屋に入ることくらいは構わない。しかし、妻子を殺めた者を私が殺めても、自分の妻子が生き返るわけじゃない。私は、天国の存在を信じられないので、妻子がお空の上で「仕返しをしてくれてありがとう」と微笑む絵を描けない。
―国民の8割が支持する死刑制度と被害者感情について より引用
この記事の中で紹介されていたのが、この『ぼくは君たちを憎まないことにした』という本。昨年、2015年11月13日に起きたパリ同時多発テロ事件で妻を亡くしたレリスさんという男性の本です。
男はなぜ「君たちを憎まないことにした」のか?
記事の中では、レリスさんがFacebookに投稿して世界中にシェアされた「テロリストへの手紙」も含めたこの本の文章を引用し、なぜ彼が「君たちを憎まないことにした」のか、その考え方に触れています。
(本を読んで僕が読んでほしい部分も付け加えています)
〈もちろん、非難すべき相手がいること、怒りをぶつける相手がいることで、半開きになったドアからすり抜けるように、苦悩を少しでもかわすことができるかもしれない。犯罪がおぞましいものであればあるほど、罪人は完璧な悪人となり、憎しみはより正当なものになる。人は自分自身から考えをそらすために、犯人のことを考え、自分の人生を嫌悪しないため、犯人を憎む。犯人の死だけを喜んで、残された人々に微笑みかけることを忘れる。〉
〈憎しみは犯人の罪を重くすることに役立つかもしれない、被害をはかる裁判のために。でも、人は涙を数えることはできないし、怒りの袖で涙を拭うこともできない。相手を非難しない人々は、悲しみとだけまっすぐに向き合う。ぼくは自分がそういう人間だと思う。やがて、あの夜何が起こったかをきいてくるに違いない息子と一緒に、向き合おうと思う。もしぼくたちの物語の責任が他人にあるとしたら、あの子に何といえばいいのだろう?あの子は答えを求めて、その他人に、なぜそんなことをしたのかと問い続けなければならないのだろうか?死はあの夜、彼女を待っていた、彼らはその使者でしかなかった。〉
〈だから、ぼくは君たちに憎しみを贈ることはしない。君たちはそれが目的なのかもしれないが、憎悪に怒りで応じることは、君たちと同じ無知に陥ることになるから。君たちはぼくが恐怖を抱き、他人を疑いの目で見、安全のために自由を犠牲にすることを望んでいる。でも、君たちの負けだ。ぼくたちは今までどおりの暮らしを続ける〉
〈元の暮らしにはもう戻れない。だがぼくたちが彼らに敵対した人生を築くことはないだろう。ぼくたちは自分自身の人生を進んでいく。〉
〈息子とぼくは二人になった。でも、ぼくたちは世界のどんな軍隊より強い。それにもう君たちに関わっている時間はないんだ。昼寝から覚める息子のところへ行かなければならない。メルヴィルはまだやっと十七カ月。いつもと同じようにおやつを食べ、いつもと同じように遊ぶ。この幼い子供が、幸福に、自由に暮らすことで、君たちは恥じ入るだろう。君たちはあの子の憎しみも手に入れることはできないのだから〉
さて、どうお感じだろう。男は高い知性の持ち主である。犯人と同じ土俵にのぼらないことが、犯人を負かす唯一の道とし、それを実践しようとしている。最大のテーマは、自分の中にある憎しみの感情との戦いだ。憎しみにかられて、現実を見失ってはいけない。
そう自身に言い聞かせる、自身を説き伏せる文章が、薄い一冊の中に詰まっている。知的苦悩の軌跡をまとめた本ともいえよう。
―国民の8割が支持する死刑制度と被害者感情について より引用
死刑制度に関する記事だったのでこのように記載されています。それについて思うところもありますが、この本のレビューをまとめてみます。
本を読んでの感想
彼はどれくらい苦しんだのだろう。
この本の中に出てくる妻エレーヌさんの描写からは、彼の妻に対する愛おしさが溢れています。
〈人生でいちばん素晴らしい瞬間は、思い出のアルバムのには貼られていない。ただ愛し合って生きていた日々を、ぼくは全部思い出せる。お年寄りの夫婦に出会って彼らみたいになりたいと思ったこと、一緒に笑い転げたこと、用事がない朝、シーツにくるまってのらくら過ごしたこと。
ささやかな時間、見せるべきもの、語るべきこともないそんな時が、いちばん美しい。ぼくの記憶はそういう時間でいっぱいだ。〉
遺品整理のところで僕の涙腺は崩壊寸前でした。ベッドの上に、埋葬する時と同じように彼女の服を並べ、それに彼女の好きだった「雌オオカミ」という香水をふりかけます。
〈ぼくはその見えない体の隣に横になる。彼女の息がぼくの首を優しく撫でた。彼女はぼくの体に腕を回し、手を僕の顔に置いて、大丈夫、何もかもうまくいくわ、と言った。ぼくたちが愛し合えるのはこれが最後だろう〉
そんな美しい描写で描かれる、大切な妻が殺された。彼の日常が急に非日常になり、その非日常はまた日常になろうとする。感情の荒波の中でもがきながら、それでもなお、なるだけ淡々と、彼は同時多発テロ後2週間の心境を綴っています。
〈この本がぼくを癒してくれるわけではない。人は死から治癒することがない。なんとかそれを飼いならすだけだ。死という獣は獰猛で、その爪は鋭い。ぼくはただ、それを閉じ込めるための檻をつくろうとしてみているだけなのだ。死はすぐそばにいて、口元に涎を流して、ぼくを貪り食おうと待ち構えている。本は、死とぼくを隔てる紙でできた格子。パソコンを閉じると、獣が暴れだす。〉
死刑の記事でも書かれていましたが、もしもレリスさん息子のメルヴィルくんまで奪われていたら、彼の高い知性もむなしく、紙で格子を作ることもできずに、とっくに獣に貪り食われていたのかもしれません。
心の中で暴れ狂いだしそうになる獣を必死で押さえつけながら、美しく愛おしい妻との間にできたメルヴィル君と「冒険家のチーム」になって、テロリストを憎むことなく人生を歩むことを宣言したレリスさん。
昔週刊ストーリーランドという番組があって、その中の女刑事のシリーズで、女刑事が「罪を憎んで人を憎まず」というセリフを言っていたのを覚えています。当時小学生だった僕は「そんなことできるのかよ。やっぱり憎いもんは憎いんじゃないのか?」と思っていたのですが、この本を読んでそのセリフを思い出したのでした。
レリスさん以外にも大切な人を亡くした人は大勢いる。その内どれくらいの人が、彼のように考えられるのだろう?
本の描写で読み取ると、レリスさんはしなやかでとても強く見える。本当のところは今にも彼女の死に飲み込まれそうで、脆く危ういのかもしれない。けれど、遠く離れた日本に住む僕に今すぐできることは、彼の誓いを信じてあげることなんだろうと思いました。
ポプラ社
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