大人になるって、「消極的能力」を身につけることらしい。って話

大人になるって、「消極的能力」を身につけることらしい。って話

どもです。先日、2月27日が誕生日で25歳になりました。26日の日曜日にはなんと近所の人がランチをご馳走してくれました。

うまし糧!

非日常は日常に

配属先に来てまだ3週間。早くも非日常は日常になりつつあります。

朝は日本語ができるおじさんに絡まれて、職場に行って、家に帰って、警備員さんに敬礼して笑いあって、家で休んだ後近所のレストランでおばあちゃんと喋って、また家に帰ってシャワー浴びて、本でも読んで寝る。たまにこれがサモサを買いに行くとか、夕日がとっぷりと沈んでいくのをベランダでぼーっと眺めるとか、変化を交えつつもそれらもやはり想定内な、そんな日々。

それが誕生日だろうときっと変わらないんだろうなと思っていました。

実際ほぼその通りだったのですが、なんとなんと、職場でサプライズされました。

嬉しいです。こういうのされたら嬉しいけどどう反応していいかわからなくてただただバカみたいに笑ってしまいます。

消極的能力と大人

25歳にもなってお恥ずかしい話ではありますが、最近まだまだ子供だなって思うことが多いです。特にタイに来てから。というよりも他の隊員のふるまいを見ていて、やっぱり大人だなって思うことが多かったですね。だから相対的に自分が子供に思えるというか。僕より年下でしっかりしてる人も協力隊の中にはたくさんいましたしね。

昔記事に載せた写真の中に「大人になるってなんだろう?」について書いたノートの写真があったなと思って読み返してみました。

POPEYEの2015年12月号「大人になれば。」を読んでのノートですね。

この中にある、坪内祐三さんのネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力)の話の丸写し。

…要は白黒つけられないある状況に置かれたとき、それを受け入れる能力のこと。若い人ってすぐに白黒つけたがるんだけど、現実ってそんな単純じゃない。だけど、それを受け入れたうえで解決の糸口を探るっていうのが大人なんだよね。(p110)

 

これを初めて読んだ時に僕の中で何かが変わったような気がしました。そっか、焦らなくていいんだ。相手を急かすのも子供がすることなんだ。そう感じたのを覚えています。

僕は自分にも相手にも答えを出すことを急かす人間でした。物事を早く決めなければと急いだり、好きな人に好意を伝えては相手の答えを急かしたり。でも、これを読んでからそういうことをしないように意識してきました。

ネガティブ・ケイパビリティ―この言葉を生んだのは詩人のジョン・キーツです。彼は、偉人たち、特に詩人には全ての物事が解決できるものではないということを受け入れる能力があるのだと信じ、シェイクスピアはその能力にたけていたんだよ!という内容の手紙を弟に書きました。

私はディルクにさまざまなテーマで論争ではないが長い説明をした。私の心の中で数多くのことがぴたりと符合しハッとした。特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。

―ウィキペディア「ネガティブ・ケイパビリティ」より引用(太字は筆者)

 

そこにある不確かさをそのまま受け入れること。青臭く「探求心と向上心」を大切にしていた(今もですが)僕にはちょっと悩ましかったですし、消極的能力って名前からして敬遠されてしまいそうな感じがしますが、確かに大人には必要な能力だと思います。

思い通りにならずとも

この言葉について知ってから1年以上が経ちました。主に協力隊関連ですが、思い通りにならないことがたくさんありました。

でも、自分を急かすのも相手を急かすのもやめ、自分ではどうしようもできないこと(天気とか会いたい人に会えないとか)はそのままを楽しむことにした僕には、ほんの少し余裕が生まれたような気がします。たまにその余裕もなくて、まだまだ子供だなぁなんて思ったり。

今年も僕を少し大人にさせる、そんな言葉に出会いたいものですね。おわり。