都会隊員コンプレックス―よくある「協力隊」のイメージとのギャップをどう乗り越える?

都会隊員コンプレックス―よくある「協力隊」のイメージとのギャップをどう乗り越える?

こんにちは。任国のタイにやってきてから既に100日以上が経過したそうです。Facebookで同期隊員たちが言っているのを見て気が付きました。素敵なブログを書いている同期隊員がFacebookで730日の内の100日が終わったってことは、二年間の任期の内の月曜日が終わったってことみたいなことを言っていて、なるほどと思うとともに素敵な表現だなぁと思いました。

イメージとのギャップ

僕の現在の生活のお話をします。

まず、青年海外協力隊と言われてイメージするのはどんな生活でしょうか?井戸掘りでしょうか、掘っ立て小屋でのくらしでしょうか。

広大で真っ青な空に白い雲が浮かび、その真下に広がる赤土の上で活動をしている。何もない僻地に住んでいる。スポーツを教えようにもグラウンドがないからそこを整備するところから始めなきゃいけないとか、行ってみたら自分の仕事がよく分からないとか、そんな仕事上の困難に加えて頻繁な停電、どこからか大量に湧いてくる虫、バリエーションのない食事といった生活面の苦労。

こういう場所で生活するイメージ(写真はレソトの村)

それでも周りの人とコミュニケーションをとって自分なりの活動をしていく。街を歩けばガイジンだー!チンチャンチョー!ムズングー!なんて差別用語で小馬鹿にされる。約束を守ってくれない。それでも一緒に働いてくれる人を見つけてめげずに活動していく。子どもたちがわーっと集まってきて物珍しそうにじゃれてくる。

一方僕の場合、そんなことはなく。

僕はタイ最北の県、チェンライ県のムアンチェンライ群に住んでいます。いわゆるナイムアン、鹿児島なら鹿児島市のような中心の群です。つまり都会です

職場は自宅から徒歩15分、家の前にはうまくて安い(90円~120円)タイ料理屋。住んでいる家も、電子キー付きで昔北九州で住んでた古いアパートよりセキュリティは上。歩いて15分のところにコンビニもあるし、公共交通機関は少ないけどそこまで支障はない。職場周辺まで行けばおしゃれなコーヒーショップもたくさんある。セントラルという大きなショッピングモールには何でも売っている(日本の実家の近くにもあの規模のものはない)。日本料理屋さんもたくさんあります。地方なのでバンコクより空気はきれいで自然もいっぱいです。

街を歩き目があえばタイ人は大抵にっこりと笑ってくれる。ガイジン!なんて言われることはありません。そもそも最近色が黒くなってきて話すまであんまり外国人だと気づかれないのですが、日本人とわかると敬意を持って接してくれる感すらあります。そしてタイ人じゃないよ、というと割と高頻度でフィリピン人と間違われます。マーブーハイ!と声をかけられます。純鹿児島人です。顔というより背格好が日本人っぽくないんでしょうね。

犬はマジでこええけどな。

職場では時々停電があるけどしばらくしたら復活するし、カウンターパートは英語ができるからタイ語で通じなくても英語で補える。

僕の仕事は患者さんに施術をするとかではないし、子供に啓発に行くとかではありません。月水は病院で貧困スクリーニングの観察に行きますが、基本は事務所にいてファンドレイジングの企画を考えたり、不正が生じないような資金管理の方法を考えたり、女性ボランティアに共有できるような日本の婦人会などの情報を集めたりしています。そして今のところ自分の足でいろんなところを歩き回って誰かに会って、という活動することはほぼありません。政府機関ではなくNGOで働く同僚の仕事ぶりは、他の隊員の話を聞く限り至って真面目。彼らは残業もだいぶしています。

そんな中で生活をしてきて僕は思いました。

「あれ?なんか…協力隊感ないな

と。

ギャップが大きくない暮らし

アフリカや中南米の隊員にはあらゆる生活の困難がつきもので、生活をしているだけでも経験になる、と言われる程だそうです。つまり毎日がメタルスライムやはぐれメタルとの戦いです。この世がドラクエと違っていいところは、負けても逃げても(敵に逃げられても!)経験値はえられるというところで、「もうこんな生活いやだ!」というのは、そこに順応しようがしまいが確実に大きな経験値となるのです(順応すればレベルアップかもしれませんが)。

僕の今の生活は周囲にいるのがタイ人であるということ、キッチンがないこと以外は生活レベルとしては北九州での一人暮らしとほとんど変わらないように思います。むしろ上がってないか?

協力隊が田舎ばかりに派遣されているわけではないことは大学生のころから知っていました。でもなんとなく、自分は田舎に行くだろうと思っていたし、田舎に行きたいと思っていたのです。冷房もネットもある快適な都会のオフィスに派遣される隊員もいる。でも、まさか自分がその都会隊員になるとは!その上僕は元々アフリカに行く予定でした。だからなおさらそう感じるのかもしれません。

つまりはそう、まぎれもない僕自身が「なんか協力隊っぽくない!」というコレジャナイ感を感じまくっていたわけです

そんなこんなで一時、期間で言えば二日くらいですが、「なんでここに来たんだろうなー」と思うことがありました。周りの人は親切です。近所の人も、タイ料理屋のおばあちゃんも、警備員さんも、職場の人も。4歳児も高校生もお年寄りも僕の相手をしてくれます。だけど僕なんかがここでできることはあるんだろうか?二年たって帰ったとき、僕はちゃんと成長しているんだろうか?何か一つでもできるんだろうか?

とくに男の子とおばあさんには好かれる

よくある「協力隊像」に悩まされなくていい

しかし気が付きました。都会隊員なら都会隊員にしかできない活動をすればいいよくある協力隊像と自分の生活が乖離していることなんて全く気にする必要はない、と。同じ活動なんて一つもありません。職種や国が同じでも、内容が全く違うこともあるでしょう。

メタルスライムやはぐれメタルに出会わずとも、経験値を貯めることはできます。自分からレベルを上げるために敵に出会いに行くわけです。スライムやドラキーを倒しまくってもちゃんとレベルは上がるからです。

今はまだ書きませんが、タイにいるからこそできる、タイだからうまくいくんじゃないか?という企画をいくつか考えています。前にも書きましたが、経験のない僕には経験がないからこそ浮かぶ柔軟で面白そうなアイディアを出し続けることしかできません。

バンコクにいるときに考えていたこと。それは「2年間一つでも本質を突くような仕事をすること」。自己満足でない、タイの人にとって小さくても確かにメリットがあるようなことをたった一回でもできればいい。その原点に戻ろうと思います(僕が協力隊に来てること自体がだいぶ自己満足なんですけどね)。

そして僕自身の情報に対する感度をもう少し上げたいなぁと。タイが2回目、入国回数で言えば3回目であることもあってかあまり新鮮さを感じなかったんですね。要は僕自身のアンテナが低くなっていた。良くよく探せば日本と違うところなんて山ほどあります。それに前はバックパッカー旅だったので海外のある一か所に長く住み続けるのは初めてなわけです。

日本と違う空気、におい、雰囲気。もっと繊細に感じ取っていこうと改めて思いました。

こういう変な日本語も多いしな!突っ込みどころ満載。

5月突入に当たって

さて、明日はJICAの専門家が来るそうです。協力隊事業とは無関係の方々だそうですが、僕が彼らに財団の説明のプレゼンをすることになっているそうです。金曜日に知りました。しかもJさんの旦那さんである日本人の方に金曜日にちらっと言われて初めて知りました。「もう聞いてると思うけど…」って聞いてない!僕は聞いてないよ!当日前に聞けて良かった…。

そんなことも、あります。これもまた日本ではない話ですね。笑

日本で働いていたときよりも確実に自由な時間は増えています。都会隊員は家事も少ないのです。その時間を有効にしていくように心がけたいですね。

 

青年海外協力隊カテゴリの最新記事