どもです。今回はここ半年ぐらいずっと書きたかった記事です。
数年前に流行った「置かれた場所で咲きなさい」という本を読みました。僕の同世代ぐらいの人は「置かれた場所で咲きなさいなんてこの時代にあってないしそんなのイヤ」という人が多いのですが、今回はこのことについて思うところを書いてみました。
まぁあれです。置かれた場所で咲きなさいなんてクソくらえだっつって、咲こうともしなかったり置かれた場所で咲こうとする人を馬鹿にしたりこき下ろしたりする奴が最THEクソだよってことです。
本を読んだ目的
このタイトルって結構、メッセージ性がありますよね。タイトルだけでこの本が結局何を言わんとしているかわかるタイプのタイトルです。
であるがゆえに、このタイトルだけが独り歩きしているのでは?と思いました。僕も確かにタイトルを聞いて「いや、他の場所でも咲きたいじゃん」って思ったので、読んでみることにしました。読まずに批判するのは失礼ですからね。
本の感想
この本自体はいい本だな、と思いました。といってもものすごく感銘を受けたとかってわけではないのですが、言っていることは普通に良いことだし為になる本。
同時にめっちゃストイックですね。もし仮に頑張って頑張って頑張りぬいて、でもどうしようもならないくらい精神的に追い詰められている人にとっては厳しい言葉なのかも、と思いました。逃げなきゃいけないところからは根っこちぎってでも逃げていいと思う。
置かれた場所で咲く、とは?
置かれた場所で咲くって、どういうことなのでしょう。
要は「こんなつもりじゃなかった」という場所に流れ着いてしまった時に、そこでできることを精一杯やってみようよ、ということだと解釈しています。
僕はよく「自分がやりたいことをやってて偉い。自由に生きてて羨ましい」と言われます。そういう人は、大学を1年休学してバックバッカ―旅行をしながら途上国を旅して貧困現場やNGOの活動を見に行ったり、大学を出てすぐに協力隊を受け、正社員になることなくタイで協力隊生活を送ったりしている僕を見てそう言っているのだと思います。
正社員になることはなかったにしても、行きたかった大学院に落ちて就活しながら派遣社員をして協力隊を受けていた時期や、協力隊での派遣が1次隊から3次隊に延期になるまでの間に実家で暮らしながら、地元で日雇い労働や短期のアルバイトを繰り返す時期もありました。派遣時期が確定していなかったため、長期の仕事には応募できなかったのです。
それらが「やりたくてやったこと」かと言われれば、全然そうではないです。派遣社員の時はコールセンターで働くなんて無理いいいと思っていましたし、研修の段階で「これ来るとこ間違ったな」と思いました。まず、「コールセンターとか無理です」って言ってたのにコールセンターに派遣された時点でまじかー!と思ってましたけど。
地元での某有名かき氷のお店の短期バイトもそうです。コールセンターの経験があったので電話対応などの事務職に応募したのに、結局調理の裏方+店にできる行列の誘導という予想外の仕事を任されました。落とされたくないがために「何でもやります!」とは言ったものの、もし初めからその仕事なら応募してなかったよなぁと思いました。
しかし、最終的に不本意に流れ着いた二つの場所で咲くことができました。コールセンターでは新人賞をもらい、短期の誘導バイトでは「歴代の短期バイトさんの中で一番良かったよ!」といろんな人にお褒めの言葉を頂き、おまけも頂きました。
どちらの仕事も「やってよかったな」と思いました。辞める時も、たくさんの人がやりたいことに向かって頑張ってね!と声をかけてくれました。
所詮バイトです。所詮は派遣です。責任感も、正社員と全然違う。でも僕はそこで「どうすれば時給以上の仕事ができるのか?」を考えながら仕事をしていました。まだまだ至らないところだらけではありましたが、それでもそうして得た職場の人からの信頼やスキルは、僕にとってはとても大きいです。
だから、どんなところに流れ着いてもまずはやれることをやってみてほしい。こんな場所じゃ咲けないよ!とかこんな場所で咲いたって意味ないよ!って言ってくすぶるぐらいなら、まずは咲く努力だけはしてみてほしい。
レールに乗れるのは才能
最近レールに乗れるのは才能だ、という意見を見ました。本当にその通りだと思う。
レールを外れず走れる人は、レールに乗っていた方がきっといいよ
乗れる人がわざわざ降りて苦労する必要はないと思います。放り出されて苦労するのが嫌だとしても、最初から苦労の道に入る必要は無いのではないかと。
レールに乗れるというのも才能だと思います。大多数の人が持っているので気づかれにくいけど、才能だと。持ってない人も少数ですがいるのですしね。
せっかくの才能、活かしたほうがきっといいです。最終的にレールを降りるとしても、レールの上で吟味してからにすることを、おすすめします。
今日さっきまで日本の友人とSkypeをしていました。彼女は僕と同じ大学出身で、交換留学でイギリスにも行き、在学中は成績優秀、卒論も英語でなんか難しそうなことを書いて賞をとっていました。ちゃんと4年で卒業して、社会人四年目です。男社会の荒波にもまれながら、バリバリ活躍しているようです。
僕は彼女のことを本当に尊敬します。なかなかできることじゃありません。
「だからさ、それって本当にすごいことなんだよ。僕を自由にやりたいことに向かってて偉いって言う人もいるけど、ちゃんとレールに乗れることだって本当にすごい。一つの才能なんだよ」
「あー、そうか、そう言われると…。私公務員に転職しようかなって思ってて、公務員を選ぶあたりとか、あーなんか平凡な人生だなって思ってしまってたの。でもそう言われると、そうだね。どっちが偉いとか無いよね」
「そうだよ!どっちの生き方をとるのもその人の個性でしょ。やりたいことをやって自由に生きてる人が、やりたくない大変な仕事をしている人を馬鹿にしたりこき下ろすようなこと言ったりすることがあるけど、僕にはそれは理解できん」
もし「平凡な」人生を選んで彼女と同じように「あー、自分の人生ってつまらないのかなぁ」って思ってる人がいたらそれは違うと言いたい。
勿論好きなことをして生きていくのは素敵なことだし、そういうのが流行ってる時代だけど、その方がレールに乗った人生より偉いかって、絶対そんなことないですよ。どちらもアリだし、それを「社畜だ」とか言ってバカにする人のことなんて聞かなくていい。
だって世界は誰かの仕事でできているんだから。
思った場所と違うところに流れ着いても
僕がこの「置かれた場所で咲きなさい」に一つ反論をするとすれば、「僕らは花じゃないから根っこ引っこ抜いて別の場所で咲くこともできる」ということです。
しかし、常に思ったところにたどり着けるとは限りません。僕も大体いつも最終的にやりたいことをやっているものの、上でも述べたように、そこにたどり着くまでに全く予想もしなかった、別にやりたくもないことをする状況が何度もありました。
協力隊の活動にも言えることだと思います。思ってた職場と違った、期待してたような場所じゃなかった。でも、僕たちが置かれた場所で、2年間の任期の内で一瞬でも小さな花を咲かせられたらそれは大成功だと思います。
どこでだって咲いてみる。でも頑張っても頑張ってもどうしようもないときとか、あそこで咲いてみたい!と思える場所が見えたときには、思い切って根っこ引っこ抜いて別の場所まで走っていけば良い。そう思います。
まとめ
まずはそこで咲けるようにやれることをやってみる。
でも逃げても良いし、あそこで咲きたい!と思える場所まで行ってもいい。
どこで咲く花もそれぞれが美しくて、どっちが偉いとか無い。
言いたいこと書けてすっきりしたので寝ます。おわり。