どもです。以前貧困結核患者チット(仮名)とその息子の話を書きました。
過去記事:スクリーニング中に一瞬無力感に飲み込まれそうになった話
家族から厄介者扱いされ家を出た患者と、その患者について一緒に家を出た息子。今回はその続きのお話です。
4年前のタイで。働く男の子。
二日後に
あの記事の二日後、その週のうちの水曜日にまたチット親子はやってきました。また話を詳しく聞いてみると、どうやら男の子は今は学校に行っていないようです。
そして年齢は10歳。驚きました。僕はてっきり7歳くらいだと思っていたからです。それくらい身体が小さかったのです。
また、僕も同僚もてっきり男の子は今も親戚の家に住んでいるのかと思っていたのですが、お父さんについて出ていって掘っ立て小屋のようなところで暮らしているようです。
同僚が患者の家をグーグルマップで探しながら発症地点にしるしをつけて行っているのですが、その子にも家はどこなのか説明してもらいました。男の子ははきはきと説明しました。
グーグルマップで入れない通りに面しても「じゃあこっちから行けるよ」と別の道を説明してくれます。しっかりした子だな、と思いました。
男の子が示した場所には何もありません。どこに住んでいるの?と聞いたらสวน(庭)と答えていましたが、本当に何もないところだったのです。
僕は通っているタイ語の学校の先生に、タイの学校事情について聞いてみました。
基本的に公立は無料、その子の場合は親が病気であることも(その上薬物中毒であることも)家に住んでいないことも、学校に行けていないことも、おそらく村の人々が把握してるだろうとのことでした。そういう状況もあり体も小さいならいじめられている可能性も高いと。
日本で言う児童相談所のようなものはないのか聞いてみましたが、家族の問題だから介入できないのだろうと言っていました。
「お金を貰いに来たんだ」
更に二週間後、8月21日、また男の子がやってきました。今日は病院に来る予定の日ではないし、何よりチットがいません。
「どうしたの?」
「お父さん今入院してるんだ」
「え!?いつから?」
「えーと、7日前から!」
と男の子は指で7を表して言いました。
「お金を貰いに来たんだ」
そうか、とうとうこの言葉が出てしまったか。僕たちは今彼らにとって「お金をくれる人達」なのだ。
他の同僚が言います。「お金をあげることはできないよ、ご飯なら食べに行きましょう」
「買って持って行きたいんだ、お父さんに」
「お父さんは病院でご飯出るでしょう?」
「おかゆじゃなくて焼きめしが良いんだってさ。」
おいおい。
同僚が一通りお菓子屋カップ麺を買って持たせました。僕らがいるのはクリニックで病棟ではないので、クリニックと病棟の間を往復する病院の車に男の子をのせて返しました。
男の子を載せた車がいなくなった後同僚は言いました。
「チットはエイズなんだよね」
そうか、だからか。あの口の荒れ方は確かにそうだ。白い口腔内はカンジダで、うまく喋れないほどあれているのはカポジ肉腫のせいか。僕はなぜそれらをすぐに結びつけて考えられなかったのだろう。
援助依存
その二日後の水曜日にも来ました。
「お金を貰いに来たよ」
同僚たちは男の子に「お金はあげられない」と同じように説明しました。それでも男の子は僕たちが作業をするところに居座り、時々目が合うと恥ずかしそうに笑います。足をブラブラして、机に頭を寝かせて僕たちスタッフをちらちらと見たり遠くを見たりしています。
僕は、何とも言えない気持ちになりました。
大学生の時、途上国開発の授業でバングラデシュの援助依存の話が出てくる映像を見たのを思い出しました。
男性のナレーションの声がよみがえる。男の子の姿と被る。―援助されるのが当然と考え援助に依存すると貧困からの脱却は益々難しくなります...
彼がこうやって、大人の顔色をうかがいながらお金を貰うことに味を占めて、今後学校にも行かなくて、それでどんな大人になってしまうんだろうか。
たった一匹のヒトデすら投げられないボランティア
昔の記事でヒトデの話を紹介しました。
『星投げびと』
あるところに、年をとった男の人がいました。
その人は 毎朝 海岸を散歩していました。ある日、いつものように海岸に出かけると少年が1人。
何かを拾っては、海に向かって投げています。「おはよう、何をしているんだね?」
少年は答えました。
「ヒトデを海に投げてるんだ。今は引き潮で、おまけに太陽がギラギラ照りつけているから、海に戻してやらないと死んでしまうもの。」「でもね、君。ここは砂浜なんだよ。何キロも続いているし、そこらじゅうヒトデだらけだ。すべてのヒトデを助けることはできないよ。だから、そんな事をしてもしょうがないだろう。」
少年はじっと聞いていましたが、ふたたびヒトデをつかむと、にっこりしながら、海に投げました。
「でも、今投げたヒトデにとっては意味があるでしょ。」
『星投げびと』 ローレン・アイズリー
ヒトデを投げない人にも、ヒトデをただ投げる人にも、考えながらヒトデを投げる人にもなることができます。僕は少なくともヒトデを投げる人でいたいと思います。
今もこの話は好きです。でも、何がヒトデを投げる人でいたいだ。偉そうなこと言って、僕は結局ボランティアとしてここに来た今、たった一人の男の子すらどうしてやることもできない。
正直、チットはもう長くないのではないかと思っています。妻を失い、薬に依存して、家族に嫌われる男も、あの子にとっては父親です。世話をする父親を失ったらあの子はどうするのだろう?
この前CPと話し合った時も、この子の話を出しました。
「タイの学校ってどういうシステムなんですか?」
「国民証があれば学校はただで行けるよ。国境付近には国民証を持たない人も多いから、そういう山岳民族向けの学校もある。でもその子は昔学校に行ってたなら持っているかも。」
「どうにかする方法はないんでしょうか?」
「私も助けたい気持ちはあるの。何とかしてあげたい。でも、他にもすることがあってそこまで手が回らないの…」
CPの本音だと思います。彼女は忙しい一方でいろんな貧困患者の生活を気にかけています。
「コウがどうにかしてあげられる?」
僕は何も答えられなかった。容易にうなずくのは無責任な気がしたし、かといって無理だって言うのも気が早い気がした。
「まだチットは入院中ですか?」
「今スタッフに確認してもらってるところだよ」
CPも気がかりなんだと思います。
ここで何を言ったってきれいごとにしか聞こえない。でも今はただ僕も何もできていないことが悔しい。
もしかしたら学校に行けるかもとか、考えてみても何の行動にも移せなくて、こうやってずるずるとあきらめてしまううちに、男の子も病院に来なくなったら、今度こそもう僕にはどうしてあげることもできなくなる。
ボランティアって何なんだろうな。
ありきたりにも、そんな風に思う今日この頃です。