自分探しと青年海外協力隊ー探すよりなくす方が良いと思う理由

どもです。今日は協力隊と自分探しについてのお話です。

一般的な人の協力隊に対するイメージとして、協力隊に行く動機=自分探しだという認識があります。本当に自分探しとして参加している人がどれくらいいるのかは分かりませんが、この「自分探し」と「協力隊」について考えてみました。

 

自分探しとは?

自分探しという言葉を調べてみると

幸せと豊かさに麻痺して自分を擬似的に喪失した人などが長旅ボランティア等で本来の(もしくは新しい)自分自身を発見することを称する行為のこと。若さゆえの存在証明としての青春の自分探しはヒッチハイクなどで一人旅をする傾向にある。

はてなキーワード 自分探し

と出てきました。長旅もボランティアもしている僕はちょっとだけドキッとしました。

 

しかしながら、僕は旅をするのが好きでも、「自分探しの旅」という言葉はあまり好きではありません。

バックパッカー旅をしていたのにそんなことを言うと「自分だって何も考えずに旅をしていたくせに」と言われますが、自分を探しに行ったわけではありません。自分が見たいものを見に行ったんですね。当たり前ですが、自分はいつもここにいるからです。

「人生が変わる旅」も同様。巷にひろがる「インドに行けば人生が変わる・価値観が変わる」という言説が気に入らず、インドをすっ飛ばそうと思っていたほどでした。でも結局行きました。好きすぎて2回行きました。インド、大好きです

 

じゃあ自分探しの旅とは?

いわゆる自分探しの旅というのがどういったことを指しているのか。

考えた結果、未だ見ぬ土地に行き、違う文化や空気に触れることで日本にいた時の自分とは違う自分を発見する、「異文化の中の自分」を見に行くことが、自分探しの旅の内容だと捉えています。

でもそれは言い換えると「自分はどの文化の中で一番楽しめるのか」を見に行くことだと言えるので自分というよりはむしろ、「自分に合った異文化探しの旅」になります。

また、自分探しの旅としてもう一つ思い浮かぶのは、いつもと違う環境に身を置いて自分の内面と向き合い、自分が何を求めているのかを探すこと。だと思います。

それでもそれを旅とくっつけることにどうも納得がいかない。

自分とはどこまで行っても死ぬまで道連れなのだから、世界のどこにいても考えられると思うからです。

 

自分探しの○○が好きになれない理由

なぜ僕が自分探しの○○を許容できないのか考えてみたのですが、要はその「自分の内面と向き合う」という行為が常日頃からやるべき行為だと思っているからだと気が付きました。

 

大学最後の年、僕は就職活動が終わったばかりだという初対面の人と話しました。もう名前も忘れてしまいました。しかしその人が僕になぜ就活をしないのか尋ね、答えると、すごく自己分析ができていますね、と褒められたことは覚えています。

勿論僕は褒められることに弱いのでたぶん気持ち悪い感じにアヘアへと喜んだんだと思いますが、帰りのバスの中、「はて?なぜ褒められたのだろう?」と思ったのでした。

当時はアルバイト以外に一社も受けたことがなかったので「就活って自己分析をすることなの?」と不思議に思ったのでした。

就職活動をしていなくても、世界のどこにいても、自分の心がどの方向を向いていて何に重きを置いているのかは、時に周りに相談しながらでも思いをはせるべきでしょう。

その一方で見つからないのならそれでも仕方がないと思うのです。人間なんて曖昧なのです。

 

 

協力隊は自分なくしの方が有効

さて、青年海外協力隊について考えてみましょう。

協力隊に参加する人の中には世間一般のイメージのご多分に漏れずに自分を探しに来た人もいるかもしれません。また、少なからず「私だからこそできることがしたい」と考えている人がいると思います。

その考えを否定する気はありません。考え方は人それぞれだからです。

しかし僕は「私だからこそできること」じゃなくてもいいと思っています。

 

もっと言えば一瞬でも仕事さえ役に立てば、今の職場の人に「なんか名前忘れちったけど日本人が来て〇〇をやった」という風に自分の存在は忘れられても構いませんし(ちょっと寂しいけど)、コウがいたからできたこと、じゃなくて良いわけです。

コウっていう面白い日本人がいたよね。何してたのかは全然わからなかったけど。もいいけど、コウじゃなくても別に誰でもできたけど結果的に役に立ったしまぁ良かったよね。の方が自分としては嬉しいかなと。

つまり自分探しじゃないんです。自分なくしなのです。

 

 

我を忘れるほど没頭しろ

だから僕は協力隊は自分探しよりも「自分なくし」をした方が良いんじゃないか?と考えています。

「自分なくし」はみうらじゅんさんの言葉で、先ほど引用したはてなキーワードの自分探しのページにも、『対義語にみうらじゅんの提唱する「自分なくし」の語がある。』と出てきます。

彼の『「ない仕事」の作り方』という本にこんな文章が出てきます。

 

どんな 仕事であれ、「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」の間で葛藤することが多いと思われます。それは私も同じです。そこで肝心なのは、そのときに「自分ありき」ではなくて、「 自分をなくす」ほど、我を忘れて夢中になって取り組んでみることです。新しいことはそこから生まれます。

みうらじゅん. 「ない仕事」の作り方 (文春e-book) (Kindle Locations 40-43). . Kindle Edition.

 

 

これも、私が若い頃に間違っていたから気づいたことです。私の「したい仕事」は世の中にあると思い込んでいました。しかし、どうやら、ない。だったら自分で作るしかない。しかしそこで自己主張をし てしまうと、世の中からすぐに「必要がない」「欲しくない」と気づかれてしまう。そこで 自分を消し、あたかも「なかったもの」が流行っているかのように、主語を変えて プレゼンしてみる。すると、 人々は「流行っているのかな?」と、ようやく目を向けてくれるようになる。「自分探し」をしても、何にもならないのです。そんなことをしているひまがあるのなら、徐々に自分のボンノウを消していき、「自分なくし」をするほうが大切です。自分をなくして初めて、何かが見つかるのです。

みうらじゅん. 「ない仕事」の作り方 (文春e-book) (Kindle Locations 1136-1141). . Kindle Edition

 

我を忘れるくらい活動に没頭して、悩んだ末に、自分がイイと思う仕事を考えついたら主語を自分以外に置き換えて提案していく。

「自分」のプレゼンスをあげたいというボンノウから離れて、そこの人たちにとって有効な活動が何なのか考えて、その先の答えが出たら自分をなくしながら活動する。

 

そして実は自分を忘れたその向こう側でなにかが見つかるかもしれない。皮肉にもそういうことなわけです。

まだできてないけど。

 

まとめ

要するに「自分ありき」でやっていると活動ってなかなかうまくいかないのかもしれないなぁと思ったんですよね。完全に自戒も込めてのセリフなのですが。

自分探しや自分の居場所を探しに来た隊員も、それを求めて協力隊に応募する人もいると思います。もちろんそれを否定するわけではありません。でもそういう意見を聞いたときに何か自分の中に違和感が残っていました。

で、考えた結果、僕は協力隊として自分探しではなくて自分なくしをしたいんだな、と最近ふと思ったのでまとめてみました。

 

「自分なくしと自分探し」についてはいろんな意見が聞いてみたいので、思うところを教えていただけると嬉しいです。

タイに来てそろそろ10ヶ月、任地に来て9ヶ月。早いなぁと思います。我を忘れるくらい没頭したいですねぇ…。

おわり。

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