好きを仕事にする勇気

どもです。今日は考えたこと。いつもと違うテイストです。

あ、初めに断っておくとこの記事には好きを仕事にする方法は書かれていません。それでも良ければどうぞ。


 

僕は昔から絵を描くのが好きだった。理由はないし、もし仮に僕に何か才能が与えられているのだとすれば、絵を描くことなんじゃないかと思う。

それは僕が絵を描くのが上手だという意味ではなく、絵を描く時間が最も没頭し無になれる時間であり、今後嫌いになることはないだろうというだけの話だ。

両親が初めて僕にクレヨンを与えた時、僕は真っ白の大きな紙にただ黙々と、ぐるぐる円を描き続けたらしい。2時間、3時間、まだロクに言葉もしゃべれない僕はじいっと押し黙ってぐるぐるとクレヨンを動かし続けた。その時のことは全く覚えていないが、よくその話をされる。

小学校に上がるか上がらないかの頃、祖父母の家で僕は絵を描いていた。宇宙と宇宙人の絵だったと思う。
僕は描く道具があるのがうれしくて細かい絵を黙々と描き続けた。

カレンダーの裏が僕の頭の中の宇宙人でいっぱいになり、その地面の岩を細かく描き始めた時にようやく周りの声が聞こえた。

こうちゃん、続きは家で描こう。もう帰ろう。

伯母がそう言っていた。気がつけばもう夜で外は真っ暗だった。

なぜかこのことははっきりと覚えている。

 

小学生になって、休み時間も絵を描いた。自由帳いっぱいにポケモンの絵を描くと男の子も女の子もわらわらと集まってきてすげーと褒めてくれた。

僕が手首や首の部分に陰影をつけると、どうしてピカチュウは黄色いのにそこを黒く塗るの?と言われた。影だよ、と答えたけどその子はよく分からなかったらしく、絵の立体感が伝わらなかったような気がして、残念に思ったのを覚えている。1年生の頃だ。

 

2年生の終わりごろ、急に黒板の字が見えづらくなった。僕が黒板の字が見えないと言うと、母は僕が小さいから大きな子の後ろの席になって見えないと言っていると思ったらしいが、そうじゃなくて字がぼんやりしてよく読めないのだと話すとびっくりして眼科に連れていかれた。

目医者さん(と僕は呼んでいた)に絵を描くのが好きだというと、来週僕が描いた絵を持ってくるように言った。僕は飛び切りうまく描けたつもりの絵を持って行って見せた。でも僕が予想したのとは違う答えが返ってきた。

これは小学2年生が描く絵じゃないね。
こんなに細かい絵を描いていたらどんどん目が悪くなってしまうよ。

このころから何となく、絵を描くのは悪いことなのだという認識が生まれてしまった。

 

僕は1人部屋を貰うとますます絵を描くようになった。弟がゲームばっかりしていることをとがめると「自分だって絵ばっかり描いてるくせに」と言われた。

また絵を描くことが悪いことのような気がした。だんだん絵を描かなくなった。

近所の双子の幼馴染も絵を描くのが好きだった。その子たちの絵の方が上手だった。中学生の時、その子のお母さんの友達に勉強を見てもらっていた。

僕らは皆描いた絵が修学旅行の冊子の挿絵として載っていたのだが、それを見て先生は「この絵はすごく上手ね、こっちの絵は中学生らしい絵だけど。」と言った。

中学生らしい絵というのは僕の絵のことだった。先生はそれが僕の絵だと知らずにそう言ったのだが、自分の絵が下手糞だとはっきりと烙印を押された気がした。

僕は昔から上手になりたいと思って描いたことはなかったが、上手に描なければ評価されなくなっていくことに気付いた。ますます絵を描かなくなった。

 

僕は高校生になった。どういう経緯だったのか、体育祭の時のパネルの絵を任されて、描くことになった。部活に行きたくなかったから引き受けたような気もするし、誰かにやりなよと言われたから引き受けたような気もする。もしかしたらどちらでもないかもしれない。でも絵を描くのは好きだった。

美大に進むと言っていた友達がその絵を見ながら「どうしてそれを仕事にしないの?そう思ったことはないの?」と聞いてきた。僕はその時まで絵を仕事にするだなんて考えたこともなかった。ただ好きだから描いていた。

でも自分の絵がさしてうまくないことももうよく分かっていた。仕事というのはつらくて楽しくないことだろうから、絵が仕事になるはずがないとなぜか思い込んでいたのだった。書道を選択した僕には美大進学という道はそもそももうなかったのだが、美大だなんて考えたこともなかった。

僕は自分が好きなことを仕事にする勇気がなかった

仕事にするということは、周りから評価され、要求されながら絵を描くということだった。そんなことをしたら絵を描くことが嫌いになってしまうんじゃないかと恐くて、それを仕事にするという選択肢はなかった。

 

大学生になって一人暮らしを始めた。バイトも学校もない日の前日には夜遅くまで絵を描いた。机の電気だけつけて、寝食も忘れて描いていると、朝になっていることも多く、そんな日は朝寝て昼過ぎに起きた。

誰にも見せない絵を夜通し描いていると、なんだか自分がものすごく非生産的なことをしているような気がして、いつの間にかまたあまり描かなくなった。一度始めてしまうと時間を管理できなくなるので、だったら描きはじめない方が良いと思うようになってしまった。

 

僕は大学を一年休学してバックパッカー旅行に出た。国際協力という分野で働く以前に、途上国で一人きりで、いろんな国で自分がやっていけるのかどうか知りたかった。

必要最低限のものを持って旅をした。衣服や電子機器と現金。紙とボールペンは持っていた。

インドでレストランの壁に絵を描いた。別に何でもない絵だけど、なぜか描いてほしいと頼まれて、描いたら喜んでくれた。

その後トルコに行った時、どうしてもどうしても絵が描きたくなった。なぜだかわからなかった。でも絵を描きたいということしか考えられなくなって、イスタンブールで文房具屋を探して歩きまわった。

文房具屋を見つけて飛び込んだ。一番安い画用紙と一番安い色鉛筆を買い、ドミトリーに荷物を置いてカフェに行った。朝から一日中カフェで絵を描くのを3日くらい続けた。

すると全然知らない人が「きみはイラストレーターなのか?」と話しかけてきた。僕は違います、大学生です。と答えた。「じゃあ大学で絵を学んでいるのか?」と聞かれた。僕はまた違います、国際関係の勉強をしています。と答えた。

そのゴツめの男の人は、そうなのか。でも僕は君の絵がとても好きだ。すごくいいアイディアだし素晴らしいよ。と言った。親指をぐっと立てて、笑顔だけど真剣な目つきでそう言われた。

僕はものすごくうれしかった。全く知らない人に褒められた。
外国人の僕にわざわざ声をかけて、僕の絵を好きだと言ってくれた。

お世辞じゃなくて、本当に褒めてくれたのだ。

僕がどう返事をしたのかは思い出せない。今見ると決して上手とは思えないけど、でも確かに誰かの心を少し動かした絵なのだ。

 

そして僕は帰国して、また絵を描く時間はなくなった。

協力隊に行くことが決まった後、東京に住む双子の家にも行った。
チェキで写真を撮り、失敗して真っ白で出てきた一枚に僕が落書きをしたのだが、それを見て

「こうちゃんホント、絵がうまいよね」と言った。

僕はなんだか拍子抜けだった。
自分よりうまいと思っていた人にそんなことを言われるなんて思っていなかったからだ。

 

未だに絵は描く。絵を描くのは非生産的なことだと思い込んでいたが、案外ちょこっとした絵を描いて渡したり、メッセージに沿えたりするとみんなが喜んでくれることが分かってきた。ここ2年くらいの話だけど。

僕はまた少しずつ絵を描くようになった。

 

 

分かったことがある。

僕が絵を仕事にしようと思えなかったのはそれを嫌いになりたくないからだけど、それはすなわち、絵と真剣に向き合うのが怖かったということだ。

自分に才能がない、下手糞だと、はっきりわかってしまうのが怖かった。

だから絵は趣味で良いのだと言って逃げた。

 

もちろん今もメインで仕事にするつもりはないし、他に好きなことや興味があることもあるから、そっちが仕事になると思う。というかそのつもりだ。

好きを仕事に!なんてキラキラしてるのはダッセぇよな、と思っていたけど、あれこれ理由をつけて真剣に絵に向き合おうとしなかった自分はもっとダサい。

それを仕事にしたいなら我流じゃダメで、きちんと学ぶ必要がある。そんな簡単なことを最近しみじみと感じている。そして勉強し始めた。

だから僕は好きを仕事にしている人を尊敬している。

この記事と矛盾して見えるかもしれないけど、そうではない。
 

 
どちらも素敵な生き方だ。今はそう思う。

そんなとりとめもないことを考えておりましたとさ。

おわり。

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