2018年1月の活動まとめ―中間報告、総会、PMACポスター発表等

どもです。最近あんまり活動のことを書いていなかったので、1月の活動についてまとめてみます。

結核ポスターコンテスト企画の進捗

何度もボツになりかけたイベント、ポスターコンテストが実現しそうであります。

と言うのもチェンライテクニカルカレッジの先生がマジでアグレッシブな見切り発車を展開しまくってくれるため(褒めてますよ)、やらざるを得ないぐらいの状況になってきました。

僕は寄稿原稿、PMAC準備でいっぱいいっぱいでした。しかし先生に是非来てほしいとお誘いを受けて、何とか時間を見つけて学校に行きました。

すると生徒たちが結核啓発ポスターの下描きを描いてくれていたのです。

ひいい感激。

 

僕はこの絵に付箋でコメントをつけて返しました。


そしてみんなの前で発表。

他のクラスにも宣伝に連れて行かれ行きました。先生に感謝を述べると先生も喜んでくれました。

先生曰く「子供たちの絵は私から見ると正直良いとは思えないものも多かったけど、あなたのコメントはすべてポジティブでその絵の良い点を書いていたからとても良かった。生徒たちは誇らしそうだった。」とのこと。

そりゃよかった。そう言ってもらえると嬉しい。

僕は基本的にデザインという観点だと正解はあるけど、絵に正解はないと思っているので、今回はネガティブなコメントは一切しませんでした。その代わりにもっとこうしたらよくなる、というアドバイスだけをしていきました。

一応ポスターだからデザインも大事なんだけど、そういうのを勉強している学生さんじゃないですしね。しかも僕もデザインの知識ないし。

そして困っていた表彰用の資金も何とか確保!!!これはでかいですよー!!!

中間報告

1月19日に中間報告がありました。

自分の発表がどうこうっていうよりは、同期の発表が聞けて面白かったですね。みんなそれぞれいろんな問題がありながら、頑張ってるなぁーと。
11人も同期がいるのでもしかしたら誰か途中で帰るのかななんて思っていましたが、一人も欠けずに1年経ちました。

大きなけがや病気もなく…と言いたいところですが、ありましたね。デングで入院した人(それは私)や、ガラスを割ったり、看板に激突して縫ったりした人がいました。

もちろん任期短縮が必ずしも悪いことではありません。しかし11人そろって中間報告後にご飯に行けたのは良かったなぁと思いました。楽しかった。

 

ボランティア総会(総会委員・本番)

20日にチェンライに戻り、22日には総会とその準備のためにまたバンコクへ。こんなに頻繁に飛行機に乗ることはもうないでしょう…きっと
総会では司会を務めさせていただきました。オカマとオナベで。

今回の総会のテーマはREBOOT、再起動でした。僕ももうちょっと頑張ろうと情熱を再起動してもらえました。

総会はなんやかんやで満足度の高いものに仕上がりました。つっても僕はあまり仕事してないので、周りに圧倒されていた感じです。

仕事が少なかったのは周りがデキる人達ばかりであったことに加えて、総会直後に後述のPMACが差し迫っていたこともあります。

 

PMAC(ポスター作製~本番のサイドイベント)

これですよね、1月のメインは。

Princes Mahidol Award Conferenceという国際会議のサイドイベントでポスター発表の機会を頂いていました。これは過去記事にも書いていたと思います。

本番はともあれ、ポスター完成までがつらかった。

ポスターはバージョン1.0 →1.1→ 2.0→ 2.1→ 2.2→ 2.3→ 3.0 →3.1→ 4.0→ 4.1→4.2→4.3 4.4→4.5→5.0というくらいの改訂がなされました。もはや原型もないよ。笑

本番には数名の方に直接説明をしました。

今回は聞きに来た人の多くはタイ人だったので、英語ではなくタイ語で説明できたらなお良かったなぁと思いました。

 

寄稿原稿の最終仕上げ

プレジデントからの提案で、日本の結核研究所が出している機関誌、複十字に寄稿をさせていただくことになりました。

12月頭にプレジデントに原稿を提出。ただしプレジデントは日本語は読めないので、初めに日本人の知り合いが代わりに評価してくれたようなんですね。

 

で、僕が初めにプレジデントに提出した記事が相当ひどかったためにその人からの評価も低かったようです。

プレジデントにはいろいろ言われました。そんな文章なら寄稿も考え直した方が良いと。まぁ仰る通りですよね

今回寄稿する雑誌は「複十字」という結核関連の雑誌で、学術論文と言うわけでもないので、おそらくよほどひどい文章でない限りは載せていただけるとは思います。プレジデントもそう言っていて、ただやるからには本気でやれということ。

 

 

「私も論文を書いてタイ国内の雑誌にリジェクトされたことはないけど、国際的な雑誌だと載せてもらえるのは非常に難しくて、採用してもらえたのはせいぜい全体の10%くらいだ。どの論文に対してもベストを尽くしたつもりでも受け付けてもらえないこともある。
今回のはそこまで厳しく査定されるわけではないだろうとは思う。ただあなたが国際的なリサーチの世界でキャリアを考えているのなら、リサーチの世界について分かっていてほしいし、1年以上かけて書いたものさえもリジェクトされることがあることを覚悟してほしい。」

 

今思えば僕は彼女の意見に100%同意です。でも書いてる間は、頭ではプレジデントの厳しい優しさの真意を分かっていても、気持ちがなかなか追いつかなかった。だからしんどくてしゃーなかった。

 

それでもこれじゃいかん、っていうのは分かっていたのでいろんな人に文章を読んでもらって、アドバイスをたくさん頂きました。

普段僕はブログぐらいでしか文章を書かないので、公式な場で人に読んでもらう文章を書くのって本当に難しいなと思いました。そしてすごく嫌になってブログも活動のことを書けなくなってた。笑

ただ最終的には寄稿の原稿はプレジデント伝いで読んでいただいた日本人から、significantly improved という評価を貰えたみたいなので良かったんじゃなかろうか…。訂正した甲斐がありました。今回の寄稿は機関誌「複十字」の3月号に掲載される予定です。

 

周囲の支えが身に染みた月

総会委員もあって、他のメンバーからは忙しくて大変だねと言われましたが、正直僕は周囲のアシストのおかげでほとんど仕事してない上に(ロゴ作成と司会くらい)、この精神的にしんどい時期に、事務的な内容であるにしても、同期に会える・話せる状態が続いていたのはむしろありがたいくらいでした。

とにかく年末~1月中頃までは、寄稿記事の作製とPMACのポスター作製に追われている状態でした。

どちらとも、やれどもやれどもダメだしオンパレード、という状態だったので、毎日毎日「もう勘弁してくれよ…」と思っていました。正直。笑

調整員さんにはとても温かく見守っていただきました。あと基本的に僕はだらしないので、すごく迷惑もかけたと思う。直さなきゃとはとは思ってるけど。

前の調整員さんも8月からの新しい調整員さんも穏やかな方なので支えになっていただいています。

 

年末年始はいろんな人がタイに遊びに来てくれて、日本語が話せるタイ人の友達もできました。色々ありすぎて付いていけていないですね。最近ようやく落ち着いてきたけど、落ち着いてる場合でもなさそうです。理由はまた次回にでも。

12月のも書いてないけど基本的に1月に向けての準備か同じようなことをしていたので、12月と1月のまとめですね。ご察しの通り、活動が嫌すぎて活動の記事を書きたくなかったんですよ。笑

苦しかったりたまーにちょっとだけ楽しかったり、とにかく目まぐるしい2018年一番最初の月でした。

おわり。

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