患者訪問の時の違和感とボランティアの責任

患者訪問の時の違和感とボランティアの責任

どもです。今日はボランティアにどこまでの質を問うのか?というお話です。結論はありません。

おしかけ訪問

配属先では月に一回貧困患者さんの訪問に行っています。

最近ではCPが僕に「誰のところに行くのが良いと思う?」と聞いてくるので、なんだかようやく仕事を任されてる感があって勝手に喜んでいます。

 

ただこの患者訪問に違和感を覚えているんですね。これは最初に来た時から。

何というか、一言で言うと一方的

日本人からしたら、押しつけがましさを感じてしまう。訪問自体は楽しいし、いい活動だと思っています。それは治療の完了率という数値にも出てる。

ただもうちょっと患者さんのことを考えられないかなーとか、大きなお世話かも知れないけどそう思ってしまうのです。3月の訪問に同行してくれた同期のモンゴル隊員もそう言っていたので、きっと日本人的な感覚だとそうなんだと思う。

だからそれは文化や価値観の違いなのかと思ってたけど、今回の患者さんを見てたら違うような気がしました。

 

その患者さんは先週の月曜日にクリニックに来ていました。僕と話すのは2回目。

1回目はまず僕と直接話してくれなかった。だから僕は親戚の人を介して聞き込みをしました。山岳民族の人で、タイ語に自信がなかったようです。だからてっきりタイ語は全く話せないのかと思っていたら、月曜には普通に話してくれました。

僕の質問にただ答えるだけじゃなくて、話をしながらメモを取る僕を見て、「日本人なのに、タイ文字がうまいな」なんてニコニコしながら言っていた。「明日はボランティアの人と家に訪問に行きますねー」と言うと嬉しそうにしてくれたから、僕も嬉しかった。

 

そして火曜日に女性ボランティアと一緒に訪問に行きました。CPも女性ボランティアも患者さんとは会ったことがないので、患者さんが認知できるのは僕だけです。

見ず知らずのボランティアたちがやってきて、「薬をちゃんと飲みなさいよー」と割と一方的に話して、楽しそうに写真を撮って去って行く。

 

なんか、これなんだよな。毎回ちょっとだけ嫌になる。

 

明らかにビビりまくってる患者さんがかわいそうに思えてきて、いつもは記録用の写真を撮りに回ることが多い僕も、とりあえず患者さんの隣を陣取って話してみた。

今日はいつも一緒に来てる人はどこにいるの?とか、薬飲んで元気になってきましたか?とかたまご食べてねーとか。そんだけなんだけど。向こうが言っていることも分からないまま頷いていたりもするんだけど。でも少しホッとして見えたのは気のせいじゃないと思うんだよなぁ。

これは僕が親しみやすいとかどうこうってわけじゃなくて、人間は単純に接触回数が多い人に好意を抱くから。ザイアンスの法則ってやつですね。僕は今回の訪問で患者さんに会うのも3回目。

活動自体はいい活動だし、患者さんがあんまり小心者タイプじゃなければ談笑してるからいいんだけど、もっと相手を見て労わるようなことは…求めちゃいけないんですかね。

無償でやっているだけでも素晴らしい

これってボランティアの落とし穴問題な気がするんですよね。

 

「ボランティアになんか興味あるわけ?」

大学生の頃塾講師のバイトをしていました。僕は大学1年生の春休みにOxfamが行った研修のイベントに参加したかったので、1週間休みが欲しいと言いました。その内容も聞かれたので僕は簡単に話しました。

「ふーん…国際協力ねぇ」

塾長は言います。

「あー、それじゃあーあれだ。先生はボランティアになんか興味あるわけ?」

その言い方は明らかにボランティアに対してネガティブなイメージを持っている声色でしたが、僕は「はい、そうですね」と答えました。

「俺さぁ、ボランティアって嫌いなんだよねー。だってお金を貰わないで働くのって責任が伴わないってことでしょ?」

僕は塾長のことがあまり好きではなかったので普通にムカつきましたが、一方で彼が言っていることも的を得ているなぁ、なんて思いながら、指導報告を書きつつ「あはは、ま、そうですね」と答えました。塾長も塾長で、春期講習中に不在になる僕に腹が立っていちゃもんつけてやりたかった気持ちもあったとは思います。そもそも僕は国際協力に興味を持ったきっかけが正直とても汚いので、ぎくりとしたのかもしれません。

 

お金を払わないから、質を求められない。

お金を貰わないから、これくらいでいいやと思う。

 

ボランティアにはつきものの問題です。

震災後にも「思い出作りのボランティア」が問題になりました。

元西宮市長の今村さんのブログ(今はこの記事は残っていないようです)に書いてあったことが印象的。

「悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。」

もう見られないので孫引きですが。

やっていることが、本当に相手のためになっているのか?

僕は塾長の「ボランティアと責任」の話に何か反論できる材料でもないかなとかなんとか思いつつ、その言葉の意味を考えていました。もう彼に直接反論する日なんか来ないし、きっかけが塾長だったことさえも忘れかけていたのですが。インドでほんの少しだけボランティアをした時も、こうして協力隊に来てからも。

ただ協力隊はお金貰ってますからね。僕の中で「協力隊制度は一種の社会主義体験」だと思っています。それについてはまた別の回で。

 

釘のようにささって腹が立ったり(僕の場合は意見そのものよりは態度にイラついたわけですが)、悲しくなったりする意見ほど自分にとって有意義なことの方が多くて、これに限らず、僕は刺さった言葉でそのまま傷をぐりぐりえぐるようなものの考え方をしてしまう。その釘を抜いたらそのまま穴だけが残り、そこから中身が出ていって自分がしぼんでしまいそうな気がして、結局さしっぱなしにしてばかりだ。穴がふさがる確信が持てるまで抜けないような、そんな感じ。

 

僕は何でここに来たのか?女性ボランティアは何故慈善事業に参加するのか?

何かしたいっていう気持ちは、ノブレスオブリージュからくるものなのかなぁ?

 

そんなにほじくりまわさなくたって、答えはもっとシンプルなところにあるような気はしている。だけどそれだと、いとも簡単に偽物を掴まされるような気がして、考えることをやめられない。性格ですな。だからもっと動こう、動こう。

話がそれてしまいました。人のふり見てわがふりなおせなんですけどね。なんだかそんなことを思い出してしまいました。

おわり。

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