「口うるさいLGBT活動家みたいになりたくない」って思うのやめることにした。

どもです。こーしろーです。

先日キットチャンネルの炎上の件について記事を書いて、りょうごくらむださんのブログを引用させていただきました。ええ、無断で

するとりょうごくらむださんのブログにこんなことが書いてあったんですね。

先日、かめのつのさんが私のブログエントリを引用してこちらの記事を書いてくださった。(かめのつのさん、め、merci!(;;)まさか人に読んでいただけているとは思わなかったのでそりゃもううれしい(しかも好きなタイプの文章だああ。)

まじか。いや僕がメルシーですね。
というか無断で引用してごめんなさいぃ…。

以前のエントリに関してもコメントかメッセージを書こうとしたのですができなかったので、こりゃもっかいブログになんか書くしかねぇべって思ったんですね。思ってからだいぶたちましたけど。

僕の回りくどい文章を好きと言ってくださるということは、きっと僕もこの方が書く他の文章が好きだろう、と思って読み漁ってみました。予想的中でしたね。すごく好きだった。

書評や感想の記事は勿論、アレクサの記事アンパンマンになる記事もすごく好きだったんだけど、

平成最後の恋――『泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』

このエントリの「蛇足だけど」の部分にハッとさせられたというか、背中をたたかれたような気がしたので今日はそのことについて書こうと思います。ここまで前置き。クソ長い。本文は言わずもがな。

自意識を超えて行け

早速ですが引用させていただきます。そして勝手に太字にさせていただきます。ご容赦ください。

蛇足だけど私がふだんモヤモヤしてることをかいとこ。↓

まだまだ「ヘテロ・シスジェンダー・モノガミーの恋愛セックス上等」の価値観が意識の根底に残っている世の中だ。これにはもちろんマジョリティの感覚も関与しているが、しかしトランス、ゲイ(女のゲイも)といった「当事者」といわれるひとたちも、「多数派上等!おれらはマイノリティひっそり生きよ。デモとかうるさくすんのやめよ。」と自虐するし、自分が当事者だから自虐くらい許せよとばかりに差別的用語(ゲイが自分をホモと呼んだり、女性のゲイが自分をレズと呼んだり、MtFが自分をおかまとよぶ(シスヘテロ向け水商売をしていないかぎり(しててもその言葉をきくと差別的響きージェンダーの押し付けーを感じて私はそわそわするけど)、おかまは差別的用語だと思う。)で自らを呼称している。ほんとこれ気になるねん。いや、当事者のやさしさ。やわらかさ。寛容さ。わかるよ。好きだよ。「自分は別に自分を上等と思ってない」という高度な自意識。でも、それを越えていこうぜ、お願いよ。

平成最後の恋――『泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』 より引用

いやマジ最近の僕のことである

別に聞きたくないだろうけど、まず前置きとして僕の話をします。

僕は21歳の頃バックパッカー旅行で出会ったバングラデシュ人ゲイの方の言葉をきっかけに、日本に帰って来てからは、人前で自分のセクシャリティを話すようになりました。

時にはお世話になった先生に呼ばれて専門学校や大学で講義をしたし、市の人権学習や学校教員向けの研修でもお話をしました。

その頃の僕はただひたすらに「自分のように窮屈な思いをする人に減ってほしい」「バングラデシュの彼が言うように、社会に変わってほしいなら自分が仲間を集めて力をつけて、行動を起こさなければいけない」と思っていました。まっすぐだったと思う。

その一方で、「すべてのアイデンティティをセクシャリティに持って行かれるのは癪だ」とも思っていました。

時代が時代ですし、こういう話を人前ですることを仕事にすることもできたと思います。話がものすごくうまいというわけではないけれど、毎回人前で話をするときには、報酬の有無に関係なく、「お金を頂戴してもおかしくはないと言えるレベルまで練習をしておく」ことだけは心がけていたからです。

だけれども、もしそれを仕事にしてしまったら「セクシャルマイノリティであってもマジョリティと同じように自分がやりたい仕事をして、好きな人と一緒にいることができる」という自分が最も伝えたいメッセージに説得力がなくなる。別にそれを仕事にしたくはないから。もっと他にやりたいことがあったから。

僕は「セクシャルマイノリティの人」になりたくなかった。セクシャリティは僕のすべてじゃない。それを武器にしたら、きっと僕はまた自分が嫌いになる。僕のやり方はきっとそうあるべきじゃない。

自分のように窮屈な思いをする人が減ってほしい、の延長にあるのがこのブログであり、JICAという機関に対するカミングアウトの原動力でもありました。

しかしその後意図せぬ事態になり、その他ここには書かない方が良いようなことが色々とあり、上記のような「セクシャルマイノリティの人になりたくない」という思いをこじらせて、僕は「口うるさい活動家みたいなこと」を辞めることにしました

巷ではFTMがFTMに対して、人権講師になろうと言って多額のセミナーに申し込みをさせるような自体もあるようで…(真相は分からないので批判もできないのですけどね)。増々僕は活動家アレルギーを加速させていったんですね。

わがまま言わずに、帰国したらすぐ手術して、戸籍を変えて、埋没してひっそりと暮らせばよかったのかなぁ、と後悔することもありました。顏も名前も出していますから、もう遅いわけです。それでもたまに、ブログを通じて連絡をくれる人やコメントをくれる人に救われています。

ブログには何か書いても、もう人前に積極的に出るのは辞めよう。そう思っていました。むしろブログに書くのも最近は気が引けてた。結局我慢できずに書いてたけど、前みたいに思いついてすぐには書けなくなっていってた。

9月の半ばに、タイのボランティア総会があります。そこでLGBTに関しての講座をして欲しいという依頼がありました。実は1年前の総会でも講座をやったのですが、その時はブースがいくつかあり、少人数相手だったのであまり気にしていませんでした。今回は隊員全員+事務所の人相手。

僕は一瞬、断ろうかと思いました。「口うるさい活動家みたいなこと」をするのが嫌だったからです。

それでも一応受けることにしました。僕以外にもゲイの隊員がいて彼と一緒にやるし、ボランティアっていう内輪だけだから大丈夫だろう…という気持ちで。

でも口には出さずとも「また目立とうとしてる、うるせぇな」なんて思う隊員もいるだろうな、と思うと少し憂鬱でしたし、何をどう話せばどこに角が立たないかと考える日々だったんですね、最近。

活動家とフリーライダー

少し話は変わって、一か月ほど前に話題になったこと。杉田議員の騒動に隠れていましたけれど。

『これから同性挙式をされる方は、恐怖でしょうね。幸せだと発言するとこんな晒され方をする』との発言に『というか各論と総論をごっちゃにしたら対象が何であっても 批判されるわ』というツッコミも

超簡単に要約すると、日本で結婚式を挙げたゲイの方が

同性愛者を差別する法もなく、同性愛ドラマが大人気で、オネエタレントの好感度が高く、性転換手術には保険もきくし、同性愛者お断り!という張り紙を見ることもないし、同性挙式をしようとしたら、どこの会場も喜んで提供してくれて沢山の参列者が来てくれた。

そんな僕の住んでる国は、 日本です。

と発言をしたところ、子育てブログを書いているゲイのみっつんさんが

と発言して物議をかもしていったような感じ。

「幸せって言って何が悪い!」派と、「論点をすり替えるな。あなたが差別をされていないからと言って、日本で誰も差別をされていないことにはならない」派に分かれた、というところでしょうか。気になる方はさっきのtogetterのまとめを読んでみてね。

みっつんさんの発言も言い過ぎというか、言葉が悪かった(無知のなれの果てとか)と思うし、かといって結婚式を挙げた人が、日本を「差別のない非常に寛容な国」ととらえられるように形容してしまったのもちょっと軽率だった気がするんですね。そもそも両者とも、ちょっとずつ互いを誤解している気がする。140文字って誤解を生みまくるよねぇ…。

性を切り売りして目立つのと、権利を主張することは違う

僕にはこの問題を白黒つけるのは難しい。けど、この騒動を見て感じたのはやっぱり今の「割と過ごしやすい日本」があるのは、先人たちの陰の努力と奮闘があってこそだよなってこと。

そんなことを考えてる折に読んだのがりょうごくらむださんの記事だったわけです。気に入ってるからもう一回書くよ。

ほんとこれ気になるねん。いや、当事者のやさしさ。やわらかさ。寛容さ。わかるよ。好きだよ。「自分は別に自分を上等と思ってない」という高度な自意識。でも、それを越えていこうぜ、お願いよ。

僕は本当に、頭をバシッと叩かれたような気がしました。昔美容師さんに「前例がないなら、前例になればいいやん」と言われたときと同じように。だってそれを越えていかなきゃ、何も変わらない。

そしてキットチャンネルの騒動について自分でも記事を書きながら気が付いたのは、「性を切り売りしながら目立とうとすること」と「マイノリティの権利を主張すること」を、僕自身が一緒くたにして嫌悪していたということ。

僕が嫌いなのは前者であって、直接は見えない誰かのために社会を変えたいのであれば、後者は必要です。

そして僕は後者でありたいけど、自分の人生と周囲の人の幸せを犠牲にはできないし、それを仕事にすることはない(これについてはまたいつか書きます)。

色々考えてこういう答えにたどり着きました。セクシャルマイノリティの問題ではなく、様々な問題に関しても。

だから僕は「口うるさい活動家みたいになりたくない」って思うのはやめる。

いつかの未来のどこかの誰かのために、感謝なんてされなくても、自意識を超えていこうって思う。

まだまだ難しいけれど。答えが出ない部分もあるけど。あ、多少はネタに走るのも許してほしいかな。

もちろん当事者を脅かすようなやり方は良くないと思う。

つまり、いかにも大衆が興味を持ちそうな「セックスはどうするのか」とか「手術の跡がどうなってるのか」とか、そういうのを安易に電波に乗せてはいけない。そこに信念や意図があれば何かを変えるきっかけにもなり得るけど、収益だけが目的だったらそれは「性の切り売り」だ。

まだそういうことを気軽にしていい程、社会は成熟していない。もちろんそういう情報が欲しい当事者もいるから、発信するって難しいんだけど…。

僕にはまだまだ影響力なんかないし、もっとやりたいことはたくさんあるから、それだけのために人生をかけることはできないけど、

そういう姿勢もひっくるめて、自分も納得できるやり方でやっていけたらいいと思う。

りょうごくらむださん

ありがとうございました。

以上、平成最後の夏の誓いとしておきましょう。今はタイだから仏歴だけどね。

おわり。

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