飽きっぽいは長所かも。「中途半端は何もしないよりずっと良い」に元気が出た話

どもです。僕は自分でも引くくらい飽きっぽい方で、いろんなことを始めては途中で投げ出します。投げ出さずとも、極めるところまで行きません。

そして自分が飽きっぽくて中途半端な人間であることを長年恥だと思っていましたが、最近そう思わなくなってきたので、そこんとこまとめてみたいと思います。

何をやっても中途半端

こっちに来てから取り組んだ、または取りくもうとした・興味を持ったことがこちら

・早寝早起き
・瞑想
・糖質制限
・タイ語
・デジタル描画
・パワポデザイン研究
・インフォグラフィック
・htmlとcssの勉強
・プログラミング(Python)
・ムエタイ
・トレイルランニング
・心理学検定の勉強
・社会心理学の勉強
・統計学の勉強

で、この中で今でも継続的にやれてるなってのは活動にも活かせているデジタル描画くらいです。その他は全くやらなくなたものもあれば、熱が再燃したときにたまに集中的に取り組むものもあるという感じ。

 

思えば、ブログを書くことやノートを書くことはこちらに来る前からずっと続いています。それらは、「よし、やろう!」と思ったことではなくてなんとなくやりたいからやってて、いつの間にか長い年月が経っていたという状態。

ブログも以前のアメブロやWixを含めると、大学2年生くらいからずっと書いてますしね。高校も含めたらもっと長い。

 

だけどノートまとめやノートの使い方に詳しい人も、僕より絵が上手な人も、ブログの文章が上手な人も、ごまんといるんですよね。全部そこそこなんです。全部中途半端なんです。

 

サルになって時間を失う

多動力、というベストセラー本があります。僕は基本的にクソひねくれてるので、流行ってるものとは一瞬距離を起きたくなってしまうんですが、これは本屋で立ち読みしました。そして漫画版は買って読みました。

なるほどなーと思ったのは「まずは一つのことにサルのようにハマれ」というところ。

鈴木「でももし自分の子供がゲームばかりしてたら心配じゃないですか?」
堀口「それが余計な心配だっていうんだ。3日も4日も徹夜し続けられるワケがない。飽きたらやめるし、疲れたら寝る」

マンガで身につく 多動力  P102より引用

ゲームでもなんでも、興味を持ったものはとことん集中してやれということ。

僕はこの「サルのようにハマる」のが怖くて曖昧に取り組むあまり、飽きっぽいにつながってたんだろうなと思います。

大学生の頃も絵を描いていたら朝になっていて、鳥の鳴き声でそれに気づいたこと、気がつけば全く部屋から出ず、ご飯も食べずにゲームをしていた・本を読んでいたこと、夢中で自転車を漕いでいたらよくわからない場所にいたということがあったからです。

 

僕はずっと自分には集中力ややり遂げる力がないと思っていましたが、好きなことには誰だってはまれるはずなんです。

 

自分の中で「どうせ集中してもたかが知れてる。人には勝てない。それをやったって金にはならない。これ以上ハマってたら生活に支障が出る。また中途半端が増えるだけ。だったら最初からやらないほうが良い」といった、「ハマることを否定する声」が警鐘を鳴らして、ストッパーがかかっていたんですね。

 

 

中途半端結構、うぬぼれ上等

そんなことをあれこれ考えていた折に、植松努さんのTEDの動画を見ました。

めちゃくちゃ感動するので何度でも見たい動画です。辛くなったら見ています。この中で植松さんはこう言います。

 

自分は何やっても中途半端だなぁなんて自分を責めることは全くなかったんです。

実は中途半端っちゅうのは、なにもしないよりも、何もできないよりも全然いいんです。ちょっと出来てるだけマシなんです。

だから自分を責めることなく、足りない自分をマイナスに思う必要なく、一生懸命できることをすればよかったんです。

 

僕はこれを聞いて、とにかく自分が少しでも興味を持ったものはやってみようと思うようになりました。

やったって金にならないとか、役に立たないとか、時間がもったいないとか、そんな事考える前に、やりたいならやる。それでよかったんです。

 

統計も、プログラミングも、ゲームも本も、自転車も。ちょっとでも面白そうだなって思ったらそのままハマってしまえばいい。飽きたらやめても良い。

 

植松さんのブログにはこうあります。

まえよりも、ちょっと出来る事が増えた自分を、
自分でしっかり褒めてあげることも、とても大事です。

うぬぼれるな!
と言われても気にしないで。
自分を愛せなくなった人は、他人も愛せないと思うから。
自分を一番よく知ってるのは自分です。
うぬぼれ上等!です。

中途半端は、なにもしないより、なにもできないよりもぜんぜんいい! より引用

 

前よりもちょっとできることが増えた自分をしっかり褒めてあげること。これも僕に最もかけていた部分かもしれません。

 

中途半端を責めてるのは自分自身かも

僕は英語ができません。自分ではそう思っています。でも昔は違いました。

初めて英語が楽しいと思ったのは、高校生の頃。中学の頃は全くできなかった(通知表が2だった)英語が少しずつできるようになってきていた頃です。

 

その頃ASIAN KUNG-FU GENERATIONことアジカンが大好きだった僕は、アジカンのアルバムに付いている英語版の歌詞と日本語版の歌詞を照らし合わせるのが好きでした。

「英語だとこんな風に表現するんだ!」と感動し、それからSUEMITSU & THE SUEMITHの歌詞カードもコピーして常に持ち歩きながら、英語と日本語の歌詞を見比べて満足していました。部活の合間にも、寝る前にも、暇があれば眺めていました。

そんなこんなしているうちに英語の成績も伸び、クラスの中では1番をとり、偏差値も70を超えてきて、「得意科目は英語だ」と言えるようになっていました。

 

しかしながら、大学生以降、僕の周りには常に自分より英語が得意な人がいて、集団の中では僕は常に「どちらかと言えば英語ができない方の人」でした。

一般的に見ればTOEICで800点程度というのは、英語ができないというよりもむしろできる人の部類のはずです。

だけど僕は一向に自分の英語に自信が持てません。今でもです。

 

でも本当は、そんな風に思う必要ないんですよね。僕の英語アレルギーにはもう少しリハビリが必要ですが、少しは自身を持っても良いんじゃないかなと思えるようになってきました。

 

まとめ:とりあえずやってみ

今後は興味を持ったものは片っ端からやろうと思っています。

そして少しでも進歩した自分を褒めていけたら良いな、とも。

変化の激しいこのご時世、何でもとりあえずやって見る人のほうが生きやすいんじゃないかな?と思っています。

落合陽一さんが「百姓」になることを勧めるように、藤原和博さんが「レアカード」になるのを勧めるように、一つの肩書よりも複数の肩書が推奨される時代だからです。

 

まずは、やること。

合言葉は「何もしないより、何もできないより、マシ」ですね。

ちなみにこの前書いたテリワンはドハマリして土日ずーっとやってました。土曜の朝は同僚と8キロのマラソンに出たのですが、走りながら「早く帰ってテリワンやろー」と考えてました。プレイ時間は40時間を超えました。そしてそろそろ飽きてきました。笑

 

こんな調子の自分を、好きでいたいなと思います。

おわり

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