どもです。こうしろうです。
燃えてますね。すごく燃えています。小学生Youtuberのゆたぼんくんが燃えています。
僕なりに思うところがあったので、ちょっとまとめてみようと思います。
ゆたぼんとは?
「少年革命家ゆたぼん」の名で活動する小学生Youtuberのゆたぼんくん。
「不登校は不幸じゃない」とし、学校に行かないのは悪いことでも不幸なことでもない、悩む必要はないと不登校の生徒児童や、その親御さんを励ましているようです。
ここだけ見るとそこまで目くじらを立てる問題でもないように思えます。
しかし特に問題とされているのは、ゆたぼんく自身の不登校の理由が「宿題をやらされるのが嫌。宿題をしている他の子達がロボットみたいに見えてきて、このままじゃ自分もロボットになってしまう!と思った」ことだそうです。
いろいろ見ている限り、燃えてるのはここなのかな?
・そもそも学校に行くべきだ
という人もそこそこいますが、それよりは
・学校に行かないのは良いしても理由に問題がある
・先生のロボットじゃなくても親のロボットだろ
ということ。
あとはピースボートや革命という言葉から垣間見える政治的価値観に触れている方もいますね。「革命」っていうのはマルクスが云々で共産主義で~って話をしている方もいました。
しかしながら、「革命」という言葉について、そこまでの意味を汲んでまで使っているわけではないと思うので、今回は「革命家」という言葉やピースボートの政治性(右とか左とか)については議論しません。
賛否の状況
僕が見た限りでは批判派の意見は主に3種類
①学校は行くべき
・義務教育だから
・学校を出ていないと後々の就職などで困るから
②学校には行かなくてもいいが、理由がおかしい
・宿題をしたくないというのは甘え
③親のロボットになっているだけ。親に問題有り
・親の広告塔として利用されている
そして肯定派の意見は主に
①学校に行く必要はない。個人の自由
②学校に行くことだけが勉強ではない
そして結構多いのが
③そもそもこんな小学生を大人が寄ってたかって批判する方がおかしい
こんな感じかなと。肯定派③が結構多いんだけど個人的には半分賛成。でも半分「議論のすり替えでは?」と思う。
宿題をしたくない理由を述べられるか
ここからは超個人的な意見です。
僕は学校に行きたくないのに行く必要はないと思います。少なくとも行かなきゃいけない理由が「義務だから」じゃ僕は納得出来ないかな。ただし、学校に行かないという「自由」の裏に、ロールモデル不在の中、自分で道を切り開かなければならない「責任」があるということを彼自身がどこまで理解しているかは疑問です。
そこまでしっかり理解していて、それでも、宿題や学校の勉強よりも勉強になることを自分の嗅覚で嗅ぎ分ける力があるなら学校に通う必要はないと思います。
宿題をしたくないのであれば、なぜ宿題をしたくないのか、「なんの役にも立たないから」なのか、「既に覚えたことを繰り返しする意味がわからないから」なのか、「勉強法として理にかなっていないから」なのか、そういったことを論理立ててきちんと説明できる子なら、宿題もしなくていい。
傀儡は誰なのか?
また、親のロボットじゃないの?という見方には僕も賛同します。というか、今回の炎上の最たる問題点ってここですよね。
小学校高学年より前の子供なんて、だいたい多かれ少なかれ親のロボットです。親(もしくは衣食住および信頼を提供する責任を持つ人)が用意した価値観や環境の元生きています。でもそれが度を超えると、ずっと自分で考えられないようになります。
ゆたぼんくんの動画を見るとわかると思うのですが、たぶんカンペ見て喋ってるよね?死んだ目をして。僕にそう見えるだけでしょうか?
少なくとも、この前僕が書いた楓生(ふうせい)くんは自分がやりたいことを目を輝かせながら語っていました。
彼ももちろん、親が用意した環境の賜物だと思います。お父さんが経営者だから、経営や営業に興味を持ったわけです。
しかし彼の場合は親から自分の頭で考える力を与えられた上で、自分で考えた上で話している。見たものを自分の言葉でアウトプットできてる。そこの違いが出ています。
ゆたぼんくんは「はいはい先生や親の言う事聞いてる子がロボットに見える」と言いますが、素直に宿題をしている子が本当に「ただ黙って言うことを聞いている」から宿題をしているのか?勉強をするのが楽しいと思う子もいるんじゃないか?
僕は漢字を書く宿題と日記は好きではなかったですが、「宅習」という自分で好きなことをやっていいという宿題のページは好きでした。
日記も下校中に今日は何を書くか考えながら帰っていたので、好きではないとはいえ割とすんなり書けました。そういった力が宿題によってついたのは事実です。
お父さんの中村幸也さんが、一連の批判に対する反論も書いていました。
「学校に行けば色んな出会いがある」と言う意見もありますが、たまたま同じ年に生まれた同じ地域の子たちが集められた閉鎖的な場所(学校)での出会いで学べる事より、自らの足で色んな人に会いに行った方が多くの事を学べるのではないでしょうか?
人との出会いが大きな学びになるのは、自分が会いたいと思った人に自分から会いに行く時です。
そこで自分と違った考え方や、人との関わり方、コミュニケーション能力も身につく。
だからゆたぼんは自分が会いたいと思った人たちとたくさん出会って学びを深めているわけです。
それに対して「金儲けに利用している」とか、訳の分からない批判がありましたが、会いたい人に会いに行って金儲け?って、どういう思考をしているのか甚だ疑問です。
ー子どもを信じて何が悪いのか?パート2より引用
うーん…
会いたい人に会いに行くのを止めないことを「金儲けに利用している」と言っているわけではないと思うのね。彼を環境によって構造的、間接的に操作してしている疑いがあることが問題であるわけで(もしかしたらもっと直接的に操作してる可能性もある)。
例えが悪くて申し訳ないんですが、「性的同意年齢」の考え方と同じだと思うんですよ。
性的同意年齢ってのは、性行為の同意能力があるとみなされる年齢の下限のことです。性行為がどのような行為かを理解した上で、自分の意思で性行為をしたいかしたくないかを判断できる年齢とされるんですね。
つまり、ゆたぼんくんは「学校には行かない」という判断がどういったリスクを伴うか理解した上で、自分の意思で「行きたくないから行かなくていい」っていう自己判断をしていい年齢にあるのか?っていうこと。
ドイツなんかだと小学4年生くらいでホワイトカラーな職に就く(大学に進学する)道に進むか、ブルーカラーな職に就くか、自分で決めなきゃいけないから、判断不可能ではないかもしれませんね。ただ、その他海外の例を出している人もいるけれど、結局日本にはその受け皿はあるの?という話で。
そして「たまたま同じ年に生まれた同じ地域の子たちが集められた閉鎖的な場所(学校)」だからこそ、結果的に多種多様な人と会えてると思うんですよ。
お金がある家の子もいれば、ない家の子もいる。外交的な子も、内向的な子もいる。勉強が得意な子もいれば、スポーツが得意な子もいる。僕自身はそういった環境を見て、人はそれぞれ違っていて、この世は平等ではないし、格差が確実に存在することを肌感覚で学びました。
逆に言えば「自分で会いに行く人」って、考えてることが似ている人や自分のことを肯定してくれる人であることが多いから、それはそれで視野が狭まるんじゃないの?ということ。
少なくともこのお父さんのブログ記事はいろいろな批判の返信にはなってないかなぁ…。
僕がゆたぼんくんの「危ういな」と思うところは、ゆたぼんくんが「お父さんのロボット」であることの自覚がないことに加え、今結果として、いずれは失うカードで闘っている状態になったこと。
この年齢で「学校に行かない!」といえば、それは世間は注目しますよね。Youtuberとしての活動も注目される。再生数も伸びるだろうし(お父さんの注目度も上がるだろうし)、有名な人が「会ってみたい」って言ってくれると思う。ポルカで投げ銭もしてくれてる。
でもゆたぼんくんがおとなになって、「学校に通わない子供」っていうアイデンティティを失ったら?
彼は今お祭り騒ぎのように祭り上げられて一時的に得た影響力やエネルギーを、期限付きの武器を失ってもなお、自分の力で作り上げていく力をこれから付けていけるのか?そして、それができないのであれば無難に学校に通うのが安全策ではあると思うんですね。
ただし現時点でも既に危うい点があります。ゆたぼんくんの最大の矛盾点は、彼が救いたい「学校に行きたくない子」って、たぶん「宿題が嫌だから」っていう安易な理由じゃないっていうこと。つまり行きたいけど行けない子達。だから彼は、彼が救いたい人の代弁者にはなり得ないんです。
最後に
今の所僕にとって彼は全くの他人なので、彼がどんな選択をしても他人事だからどうでもいいんです。
ただ、彼を寄ってたかって批判する大人もみっともないけど、彼を安易に肯定する影響力のある大人も無責任だと思うんですね。そしてだいたいそういう人っていい大学出てたり、スポーツで活躍してたりするんですよ。
もしも、ゆたぼんくんが実は超絶頭の回転が早くて、お父さんとは全くの無関係で「革命」をしているのなら、今回の件はそこまで問題じゃないと思います。
とりあえず思ったことをまとめてみた次第です。
おわり。