「トランスでない人の体のコンプレックスによる苦しさとは一緒にされても違和感がありますよね?」という質問にお答えします。

  • 2020年4月19日
  • 2020年4月19日
  • 雑記

どもです。今回は以前書いた記事にいただきましたコメントについて、回答が長くなってしまったのと、皆さんにも是非ちょっと考えていただきたい質問があったので、こちらで回答していきたいと思います。

女友達のコンプレックスに共感できる?

こうしろうさんのブログ、笑ながら読ませて頂いてます(^-^)

私はFtMの友達がいる女性ですが、彼に失礼がないように参考にさせて頂いてます!

こうしろうさんはご自身の体と、どうやって折り合いをつけられましたか?

私は女性らしくない体にコンプレックスがあったのですが、自分が受け入れられない体でも、他者に受け入れられて自分自身と和解できました。知らない人とするという荒療治でしたが。

トランスでなくても、ジェンダーの共同幻想に対して体のコンプレックスを抱えている人は多いですよね。

私は美しくない体の自分を責めていた気がします。勝手に申し訳なさを感じていました。今でも知らない人には開き直れるのですが、惚れた相手や綺麗な人だと申し訳なさを感じます。対等なものを与えられないからかな。期待されると怖いです。

FtMさんの場合はジェンダー面(外見)だけでなく機能面での不便に困ることも大きいと思いますが、トランスでない人の体のコンプレックスによる苦しさとは一緒にされても違和感がありますよね?

女友達に、私もコンプレックスあるよ、なんて言われても、共感ではないですよね?

こちら彩さんよりコメント頂きました。コメントいただけるのすごく嬉しいです。ありがとうございます。

コメント返信でも少し返させていただいた内容と被りもありますが、回答していきます。

僕の開き直り方法

コメントありがとうございます。しょうもないことばかり書いているブログですが、笑いながら読んでいただけているのであれば光栄です!

FTMのご友人に失礼ないようにご参考いただいているとのことですが、僕も割と偏っているので、逆にご友人を傷つけないように、ほんの少しの参考程度で良いかと思います。笑

身体のコンプレックスを、「知らない人とする」という荒療治で和解をされたとのこと。

仰るとおり、まさに荒療治ですね。それほど強いコンプレックスがあったことが伺えます。

自分の体のコンプレックスに対し、一定程度は開き直ることができたにしても、惚れた相手に申し訳無さを感じるというのはとてもわかる気がします。

僕の場合は本当に開き直りです。

「体が完全な男でないことや身長が低いことは、別に僕が悪いわけではないし、誰も悪くないから誰も責められない。他人を恨むのも違う。人と比較しても意味がない。考えても解決しないことばかり悩んで削られていくよりは、頑張れば手に入るもの(知識や強いメンタルなど)を手に入れられるように拘泥する人生の方が多くを得られる」

という結論に至ってから、余計なことに悩まなくなりました。

ビジネスも人間も、いわゆる「ハード」は時が経てば性能は失われていきます。

高価な設備も、丈夫な体も、使えば使うほど消耗していきます。

一方で「ソフト」は時を経てより良いものになっていきます。

会社ならノウハウや社内文化、人間なら知識や精神は、使えば使うほど磨かれていきます。

まとめると、

①他人と自分ではなく、過去の自分と現在の自分を比べ、未来の自分を向上させるために今できる行動を取る。

②「ハード」よりも「ソフト」に着目する。

ということです。

どの部分に「共感」するのか?

ここから先は、コメント返信でも返せていない部分です。

FtMさんの場合はジェンダー面(外見)だけでなく機能面での不便に困ることも大きいと思いますが、トランスでない人の体のコンプレックスによる苦しさとは一緒にされても違和感がありますよね?

女友達に、私もコンプレックスあるよ、なんて言われても、共感ではないですよね?

この部分について回答します。

「共感」をどこにするか?がポイントだと思います。

もちろん僕が男性になりたい気持ちや、彩さんの身体のコンプレックスそのものを自分のことのように感じることは難しいでしょう。

しかし、それによって過剰に自分を傷つけたり、他人からは理解されないような無謀な行動に出てしまったり、そんな時に感じる自分への情けなさや行き場のない思いには、「あああ、わかるわかる!」と強く共感できるかもしれません。

コンプレックスの事象そのものへの共感は、やっぱり難しいのです。

他人から見て、コンプレックスが些細であれば「なんだ、そんなこと」と思うし、身体的機能や美醜に強く関わり、社会生活に支障をきたすレベルのものになれば、共感、つまり「わかるー」というよりは、同情、つまりは「かわいそう」になってしまいます。

だけど、大きな障害を持っている人ほどさほど気にしてなかったりする(またはそう見える)。それはその人が当事者として、あらゆるシーンに対応して生きてきて、「思ってるよりへっちゃらだよ!」と知っているからなのかもしれませんね。

だから「他人から見れば些細なコンプレックスで過度に悩み、苦しんでもがいた」という、身体的な欠点に起因する感情の動きには、共感できます。というのが僕の回答です。

欠点そのものについてを「分かる」と言っても、「お前に何が分かるんや!」になるかもしれませんが、そういう感情の機微は、人間そう大きく変わらないものかと思っています。

コメントお待ちしています

今回は記事を書く形式でコメントにお返ししました。

コメント欄では長くなりすぎてしまいそうな場合、こうやって記事で返していきたいと思います。

コメントを頂けると自分ひとりでは考えてなかった部分まで考えが及んだり、新しい視点が得られたりしてとても勉強になります。

お悩み相談でも質問でも、Googleアドセンスが停止されない程度の内容については記事上でお返ししていきますので、お待ちしております。

おわり!

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